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   3月5・20日号社説
 

いのちをどう教えるか

 

 二月二十七日、オウム真理教の教祖麻原彰晃こと松本智津夫被告に対する死刑判決があった翌二十八日、二つのテレビ番組が心に残った。一つは夜七時からフジテレビの「ほんとにあった怖い話」、もう一つは九時からのNHKスペシャル「よみがえる教室」だ。
 前者には多数の小学生が出演し、視聴者からの心霊写真を解明してみせたりする。いわば死や死後の世界をバラエティー化したもので、怖い話に子供たちは黄色い声を上げて騒ぐ。怖いもの見たさは子供に共通しているから、容易に視聴率を稼げるであろう。問題を感じるという意味で、心に残った。
 
学校で死の教育


 後者は、開校六年目で学校改革に大きな成果を上げている、神奈川県茅ケ崎市立浜之郷小学校のルポ。改革の先頭に立ってきた大瀬敏昭校長は、冬休みの今年一月、末期がんで亡くなった。大瀬校長は自ら「命の授業」を担当し、余命わずかながんであることを明らかにした上で、二学期には「人が死ぬとはどういうことなのか」を生徒たちに教え、考えさせてきた。大瀬校長が目指したのは恪lえる授業揩セというが、死を考えることこそ究極の思考であろう。そして三学期にはターミナルケアをテーマに授業をする予定だった。
 大瀬校長は「死の恐怖から逃れるために、生徒たちに伝えていきたいと思った」と、その動機を率直に話している。校長の問いかけに、「(校長先生は)死んでも(自分たちの)心の中に生きている」と考えるようになる。
 ターミナルケアを題材にすることについては、「死を認識して初めて、どう生きるかが出てくる。それを生徒たちに伝えたい」と、大瀬校長は教師たちに相談する。どの教師も「子供には無理だ」「難しい」と否定的だったが、次第にその意味を理解するようになった。大瀬校長は「いつも自殺したい、朝起こさないでほしいと思っている」と心の中を吐露しながら、そうした気持ちを「生徒たちに率直に伝えたい」と語る。
 そして、打ち合わせを終えて職員室を後にした姿が映し出され、それが学校で見た最後の姿だという。その数日後に容体が急変したからだ。次のシーンは校長の「お別れ会」の場面になる。大瀬校長は、まさに身をもってデス・エデュケーション(死の教育)を行った。わが身をさらす教育者の生き方に心打たれた。
 
死から生を考える


 二つの番組を紹介したのは、それが今の日本の宗教事情をよく表していると思ったからだ。本来、死は宗教が扱ってきた。私も小学生の頃、祖母に連れられて行ったお寺で、浄土や地獄、閻魔大王の話を聞きながら、死について漠然と考えるようになっていた。それは日本の伝統文化の一つであった。
 多くの人が思春期を迎えるまでに、死について考える。自分が死んだ状態を考えようとすると、それは考えている自分自身が存在しない状態なので、つまり思考を超越している。そもそも考えること自体ができない問題なのだ。
 しかし、死に向き合うことで、生の意味が分かるようになってくる。とりわけ身近な肉親の死は、そのきっかけを与えてくれた。ところが、大半の人が病院で死を迎える今日、死は子供たちから遠ざけられている。ましてや、お寺や家庭で子供たちが死を学ぶことは少ない。つまり、宗教の核心に触れ、それを自分で考える機会に、今の子供は恵まれていないのだ。
 それがオウム真理教のような宗教に若者が引かれる理由の一つだとは、もちろん簡単には言いえない。そんな原因探しをするよりも大事なのは、人間が生きる上で最も大切な問題について、子供に責任がある親や教師は、避けて通ってはいけないということだ。
 大人が真剣に生きていれば、それは必ず子供に伝わることを信じて、明日に希望を託したい。一方では、死さえバラエティー化する風潮があることに留意しながら。

クョスコニョ    [1] 
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