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  4月20日号社説
 

暗闇よりいで、光の中へ

 

 世界的に評判になっている映画「パッション」は、よみがえったイエス・キリストが墓から出て行くシーンで終わる。傷だらけの顔は完全に癒え、差し込む光に輝き、手の甲には釘の傷跡がくっきりとある。キリストの復活だ。それまでの暗く悲惨な場面の連続から、光の場面に一転する、そのコントラストが印象的である。
 キリスト教を世界宗教に発展させた第一の功労者とされるパウロは、「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなる」(新約聖書コリント人への第一の手紙15・17)と語っている。死からのよみがえりは今日も多くのクリスチャンに信じられている。不合理とも言えようが、人類の罪を一身に背負った十字架の贖罪や聖母マリアの処女懐胎に似て、それ故に劇的で信仰をかき立てる力がある。もしこの物語が成立していなかったなら、果たしてキリスト教は存続したであろうか。
 もっとも死からの復活は、それ以前からの民間信仰であったといわれる。死を厭い、別れを悲しむ心は、時代や場所を超えて共通している。死は断絶ではないとの思いが、人々の間で根強く信じられていたのであろう。そして、死からのよみがえりは、冬の死の大地から芽吹いてくる春の草木に似ているところから、復活祭として定着した。キリスト教と民間信仰との習合である。日本に伝来した仏教が、先祖は裏山に住むという古代日本人の考えを取り入れ、お盆の仏事に発展させたのと似ている。そう考えると、庶民の感性に寄り添ったのが、キリスト教発展のカギだったのかもしれない。
 
家族と国家


 イラクでは戦闘やテロ、事故で死傷者が相次いでいる。最近はイスラム武装勢力による外国人の誘拐事件が増え、ついに日本人も誘拐された。とりわけ家族としては、何を犠牲にしても救い出してほしいと願うであろう。家族の論理と国家の論理に、隔たりが大き過ぎるという意見もある。事件の展開を追いながら、家族と国家について考えさせられた。
 人間の集団には人為的な結社(アソシエーション)と自然発生的な共同社会(コミュニティー)とがある。血縁で結ばれた家族は共同体そのものと思われがちだが、そうではない。家族の始まりである夫婦は、ある合意に基づいて結婚するのであり、それが破られると離婚になるから、むしろ結社に近い。それに比べ、親子は互いに選ぶことのできない運命的な関係である。
 家族にあって国家にない最大の機能は、子供を生み育てることだ。人間は家族の中で生まれ、育ち、やがて死を迎える。その場所が病院に移動しても、家族の中で起こっていることに変わりはない。それ故、生と死、命にかかわる観念は家族の中で形成され、受け継がれてきた。宗教の芽生えもそこにある。
 個人主義の時代とはいえ、個人の力ではどうしょうもない家族の危機に、頼るのはやはり国家だ。生死の問題が、それまで遠かった家族と国家を急に接近させたように感じる。
 一週間後に三人の日本人が解放されたのは喜ばしいが、新たに二人が誘拐され危険は続いている。誘拐犯との仲介の労を取ったのはイラク・イスラム聖職者協会で、イスラム社会における宗教指導者の影響力を思い知らされた。

 

イスラム指導者に変化


 新しい動きとして注目されるのは、こうしたイスラム指導者の姿勢だ。成果はまちまちだが、外国人の人質解放に積極的な働きかけを始めている。宗教指導者がそれほど影響力を持つ社会を、私たちは想像し難いのだが、世界を見ると、むしろ日本社会が異質なのだと分かる。外報にあるように、米国もロシアも根底は宗教国家の色合いが強い。
 楽観的に将来を展望するなら、こうしたイスラム指導者の動きが、宗教和解による平和の実現に向かってほしい。その時、核心的なテーマになるのは死生観の共有ではないか。その日のために、諸宗教の死生観を研究する世界の英知に期待したい。

クョスコニョ    [1] 
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