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  6月5日号社説
 

死を通して生を考える教育

 

 一日、長崎の小六女児が同級生の首を切って死なすという、悲惨な事件がまた発生した。
 子供たちの残虐な事件が続いている背景に、「死からの遠ざかりがあるのではないか」と考えた小児科医の中村博志日本女子大学教授は、「死を通して生を考える教育」を提唱・実践している。その中村さんらが昨年、子供たちの死生観を調査した結果が興味深い。

子供の死生観が混乱
 首都圏の小学校二校の三年生から六年生までの三百七十二人に対して、「人は死んでも生き返ると思いますか」と尋ねたところ、答えは「生き返る」が34%、「生き返らない」が34%、「わからない」が32%だった、という。
 また、中村さんの受講生の中にも、次のような感想を寄せた女子大生がいた。
 「先生が『一度死んだものは絶対に生き返らない』とおっしゃったのを聞いて大変驚いたのと同時にきちんと納得しました。以前、『三度生き返った女性』というニュースを見てから生き返ることもあると思うようになり、何の疑いもなくそれを信じていました。しかし先生の講義を聞いてその女性は『生き返った』のではなく『死亡していなかったのだ』と認識しました」
 こうした子供たちの死生観が混乱している原因について中村さんは、「テレビなどジャーナリズムの誤った情報」と「死をタブーとし多くを語らない風潮」を挙げている。右の女子大生は、小さい時に死に関して家族に話をしたところ、そんなことを話してはいけないと叱られたという。
 殺し合いの場面が多いテレビゲームでは、死んだ人間もリセットすれば生き返って動きだす。子供が飼っているカブトムシが死ぬと、「またデパートで買ってきてあげるから」と言う母親すらいる。
 こうした環境が、子供たちの生と死に対する認識を混乱させているのであろう。

 

生き方の見直しに


 中村さんたちの運動は、ターミナルケアに重点を置くデーケン上智大学教授らとはやや異なり、健康な子供や大人を主な対象としている。死を身近な問題として考えることを通して、それぞれの生き方を考え、見直してもらおうというものだ。
 成長期の子供にとって、死は縁遠いものではと思われがちだが、思春期までに死について深刻に考えたという人は意外と多い。そして、それが人生を深く考えるきっかけとなっている。大人より子供のほうが、死に対する感性ははるかに鋭いといえよう。
 養老孟司さんは『死の壁』(新潮新書)で次のようなエピソードを披露している。
 四歳の時、結核で亡くなった父に最後の「さようなら」が言えなかった養老さんは、あいさつが苦手な子供になった。父の死も実感することができなかったが、三十を過ぎて地下鉄に乗っている時にふと、自分があいさつが苦手なことと父親の死が結び付いていることに気づき、初めて「親父が死んだ」と実感し、涙があふれてきた。
 それまで無意識に閉じ込めていた父の死が、次第に解かれてきたわけで、それ以後、養老さんは父の死について自然に語り、あいさつもできるようになったという。
 乳児死亡率は下がったとはいえ、新生児の集中治療室では死が日常的にある。そこに勤務していた女性の小児科医は、「この子らは何のために生まれてきたのか」悩んだと言う。中村さんも二十年以上、重症心身障害児の施設に勤務している。
 いくら遠ざけても、家族が死なないことはない。かわいがっていたペットも、いずれ死んでしまう。生あるものは死すという厳粛な事実を前に、私は今をどう生きればいいのか、共に考える時間を持ちたいものだ。中村さんは、「それは本来、家庭教育に属するもの」と言う。その際、肝心なのは、教えるのではなく、一緒に考えること。死を通して生を考える教育が広まるのを希望する。

クョスコニョ    [1] 
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