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  7月20日社説
 

中世的精神世界を見直す

 七月二日、ユネスコの世界遺産委員会において、奈良、三重、和歌山の三県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されることになった。対象は、奈良県の「吉野・大峯」と、和歌山県の「高野山」「熊野三山」の三つの霊場と社寺。そして、これらを結ぶ参詣と修行の道で、全長約三〇八キロにもなる。

世界遺産に登録
 「吉野・大峯」は、奈良県吉野町の吉野山と吉野水分神社、金峯神社などと天川村の山上ケ岳にある大峯山寺に広がる修験道の霊場である。
 「高野山」は、弘法大師空海によって開かれた真言密教の修行道場で、高野山真言宗の総本山。山上には、金剛峰寺をはじめ寺院や宿坊が立ち並び、一つの町を成している。
 「熊野三山」は、和歌山県の熊野本宮大社をはじめ熊野那智大社、熊野速玉大社に、那智大滝、那智原始林など。十世紀後半から皇族や貴族に信仰されるようになった。
 参詣道は「熊野古道」と呼ばれる熊野三山に至る道で、伊勢、吉野、高野山、京都からのルートがある。紀伊半島を西回りする「紀伊路」は平安中期から鎌倉期の御幸路で、東回りの「伊勢路」は、江戸時代、伊勢参宮を終えた人や西国三十三カ所めぐりの巡礼がたどった路だ。
 今回の世界遺産登録では、対象となった霊場と参詣道が、自然と人との深いかかわりのなかで形成された「文化的景観」を持ち、しかも、それが現在まで良好な形で伝えられていることが高く評価された、という。日本人として喜ばしい限りだ。
 
空海の精神世界
 自然と共生してきた日本人古来の信仰と仏教を融合させ、独自の精神世界を開いた代表が空海の真言密教だ。空海は、霊界や異界、冥界を明らかな実在として認識し、修行によって獲得した霊力で、悪や魔を調伏(ちょうぶく)できるとし、そのための複雑な仏具や祈祷法を中国から導入し、発達させた。
 密教系の僧たちが、跳梁する物の怪や怨霊に対抗して活躍した平安時代は、不思議に三百年の間平和が続き、「源氏物語」をはじめ多くの文化遺産を今に残している。
 上垣外憲一帝塚山学院大教授は、近著の『空海と霊界めぐり伝説』(角川選書)で、その要因を密教の二元論的な世界観に求めている。例えば、日本的な政治の知恵である権威と権力の分立は、この時代に確立した。
 ところが平安後期から鎌倉時代にかけて、一元論的な浄土教や禅宗の方が盛んになると、次第に実在としての霊界は否定され、思弁的、観念的な来世観が広まる。仏教における近代化、合理化の始まりということができよう。頭で考えられることがすべて、という人間中心主義の思想だ。その一方で、戦乱が続くようになる。
 もちろん、目に見えない世界を操ることから、密教的な思想が権力の集中や腐敗を生んだことも否定できない。しかし、それは近代思想の中にも見受けられることで、密教の本質ではない。
 西洋史においては中世の見直しが叫ばれて久しい。中世は決して「暗黒」ばかりの時代ではなく、近代にはない豊かな精神世界があったからだ。日本史でも、歴史家の故網野善彦氏らを中心に、中世が見直されてきた。
 もっとも、密教的な精神世界は消えたわけではなく、ユネスコの世界遺産委員会が評価したように、「(庶民の力で)現在まで良好な形で伝えられている」。それを思想的にすくい上げないのは、社会学者あるいは宗教者の怠慢であろう。近代思想の底の浅さが知れた今、中世の奧深い精神世界を見直したい。

クョスコニョ    [1] 
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