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  10月20号社説
 

人々の中で人は育つ

 佐世保市の小六女児同級生殺害事件で、県佐世保児童相談所は九月十六日、長崎家裁佐世保支部の保護処分決定を受け、加害女児(11)を長崎少年鑑別所から児童自立支援施設「国立きぬ川学院」に移送した。ここで二年間、出身地や年齢の異なる十人前後の子供たちと一緒に、親代わりの職員と寝食を共にしながら、学習やクラブ活動、農作業などを通じ、規則正しい生活を身に付けることになる。
 同月十五日の最終審判で家裁は、女児の資質について「社会性や共感性が未熟」「感情表現が苦手で怒りなどの不快感情がうまく処理できない」「死のイメージが希薄で、現実感も乏しい」などと指摘している。両親は女児を「おとなしく手のかからない子」と感じていたが、決定要旨は「情緒的な働きかけが十分ではなかった」と結論付けた。凶行に走った原因としては、女児が「自らの存在感を確認できる居場所に侵入されたと感じた」ことを挙げている。これらの説明を通して、「今の子なら、誰にでも起こることではないのか」と感じた人が多いのではないだろうか。

仲間で支え合う
 事件の直後、国立教育政策研究所生徒指導研究センター総括研究官の滝充さんが、「今の子供は死の意味を実感する体験が欠けているので、今回の事件はいつどこで起きてもおかしくはない」と新聞にコメントしていたのが目に止まった。滝さんは生徒指導が専門で、いじめや不登校を予防する教育の在り方など研究・実践しており、今の子供たちの事情にも通じている。
 大人たちは「なぜ子供がこんなひどいことができるのか」と思うが、滝さんに言わせると、「子供だからこんなひどいことができる」となる。それだけ、子供たちを取り巻く環境が変わってしまっていることを理解して、対応を考えなければならない。例えば、死について知らないのであれば、医師に人が死ぬとはどういうことか授業で話してもらう、と短絡的に考えるのはむしろ危険を伴う。もっと、なぜ子供たちがそうなってしまったのか、根本のところを考える必要がある。
 滝さんが強調しているのは、子供たちに社会性が乏しいこと、その結果、自己有用感が弱いことである。多様な人間関係の中でもまれ、自分が役に立っているという実感が乏しい。死の意味が分からないのも、身近な人の死に接したことがないからで、寿命が延び、病院で死ぬようになった今の時代、無理もない。
 そこで滝さんが、外国で開発された手法を日本に合うように変え、いくつかの学校で実践しているのが「ピア・サポート」という予防教育的な生徒指導だ。ピアとは仲間のことで、学校を挙げて上級生が下級生の世話をする。例えば、上級生が下級生に遊びを教える、一緒に掃除をするなど。事前に、何のためにこれをするのかという教育をし、事後に感想文を書くなどして意味を確かめる。
 考えてみると、これは昔の子供社会では当たり前のようにあったことで、異年齢の子供たちが一緒に遊ぶ中で、そのかかわりの中から社会に出るための大切なことを学んでいた。あこがれの上級生がいたりすると、いたずらっ子も大人しくなったものだ。小さい子の世話をすることで、大きな子は自分に対して自信を持つようになる。今でもスポーツ少年団などでは、普通にあることだろう。そうした仲間とのかかわり合いの中で、自分の心をコントロールすることを覚えていけば、キレることはなくなる。

宗教教育の手法は
 宗教教育を考える上でも、今の子供たちの状態や環境に応じた手法を考える必要がある。経典に書かれている言葉の多くは、その当時の人々の悩みに対してきたものであろう。その内容に普遍性はあっても、そのままでは今の子供たちの心に届かない。経典に基づいて教えるという姿勢そのものに、限界があるのかもしれない。
 社会学的に見ると、宗教は互いに無関係な人々を一つの絆で結びつける役割を果たしてきた。その機能からすれば、今こそ宗教が必要な時代を迎えていると言えよう。

クョスコニョ    [1] 
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