再読「荒れ野の40年」
八月十五日が近づくと、毎年のように日本の戦後責任のとり方が議論の的になる。その時、よく参考にされるのが一九八五年五月八日、ドイツの敗戦記念日に当時のヴァイツゼッカー西ドイツ大統領が行った演説「荒れ野の四十年」だ。一方の人たちは、「日本もドイツのように明確に謝罪をし、個人補償をすべきだ」と言い、他方は、「責任をすべてナチスに押し付け、ドイツ国民の罪を回避している」と反論する。しかし、同演説を詳しく読むと、そのどちらも断片的な理解であることに気づく。 心に刻め 同じ敗戦国であっても、ドイツと日本が置かれた国際環境はかなり違っていた。ドイツは東西に分断され、周囲からの厳しい目の中で冷戦時代を迎え、西ドイツは周辺国との早急な関係改善を迫られた。一方、日本は韓国とは一九六五年まで、中国とは七二年まで断交状態で、両国との関係にあまり気を遣う必要はなかった。隣国から厳しい目に対応せざるを得なくなるのは、ドイツに比べ二十年後のことである。 西ドイツが五六年に連邦保障法を定め、被害を受けたユダヤ人の個人補償を始めたのは、何よりホロコーストが歴史上空前の虐殺だったからだが、国家としての賠償や領土問題の解決は、分断されたが故にできなかった。ようやく取り組み始めたのは九〇年に東西ドイツが統合されてからである。 分断されなかった日本は五二年に連合国との間に講和条約を結び、戦争状態に終止符を打った。連合国は、第一次大戦でドイツに過大な賠償金を課したことが第二次大戦の原因になったことの反省から賠償を放棄したので、日本は被害を与えた国々との間に個別に条約を結び、賠償および経済協力を行ってきた。それは六五年に日韓基本条約が、七八年に日中平和条約が結ばれたことで終わり、残すは北朝鮮との関係のみとなっている。 つまり、国際法の上では中国、韓国に対する日本の戦後責任は終わっており、必要な謝罪も行ったので、以後は対等に付き合えばいいわけだ。しかし、国民の感情としては、被害を与えた中国や韓国の人たちに、それでは済まないのではないかとの思いがある。 ヴァイツゼッカー演説で重要なのは「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」(『荒れ野の40年』岩波ブックレット)というくだりだ。これは近代法の考えで、ユダヤ人の妻を持つ哲学者のヤスパースも同じ考えを「責罪論」で述べている。「罪は一族に及ぶ」というのは古い考えもしくは宗教文化で、近代法では罪はあくまで個人的なものなのだ。 これを押し通すと、「ナチスに罪を被せて」となるのだが、他方、同大統領は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」と有名なくだりを述べる。学生時代、韓国の学生と議論したことがあるが、彼らが最も憤っていたのは、日本人が植民地支配についてあまりにも知らないことだった。無知からは何の情緒も湧いてこない。もっとも、その知識が間違っていたり、一面的なものであってはならない。 文化と知性を 戦後の西ドイツでは、国民にはどの程度の責任があるのかが大きな議論の的であった。ヴァイツゼッカー大統領はナチスと国民の責任の割合だけでなく、ナチスを助けたソ連や過小評価した英国などにも論及している。つまり、内外の国民はじめいろいろな識者の批判に耐える内容だったので、世界的に高い評価を受けたのである。 日本はこれからその議論を積み重ねていかなければならない。「荒れ野の四十年」のタイトルが、出エジプトしたイスラエルの民が荒野をさ迷った四十年を意味するように、根底にはキリスト教の罪観がある。伝統文化と近代知性の双方を納得させながら、日本自身の考えと言葉で、戦後責任を語る必要があるのだ。
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