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  平成17年9月20日号社説
 

今こそ政治に哲学を

 注目の衆院選は予想を超える自民党の圧勝に終わった。「小泉劇場」と称される巧みな状況設定の効果に舌を巻きながらも、こうした政治手法のみでよいのかという疑問が強まる。そこで想起されるのが、軍国主義の傾向を強める戦前、学問の洞窟に潜みながら、深く日本の政治哲学を考察した南原繁のことだ。
 
 共同体の再生
 戦後の対日講和条約締結の際、米国など西側諸国との講話を進めようとする吉田茂首相に対して、ソ連を含む全面講和を主張し、吉田に「曲学阿世の徒」と批判されたのが南原東大総長。その言動から、左翼的な進歩的文化人の走りのように思われがちだが、彼は半面、強固な反共主義者だった。昭和二十五年、高松市での帰省講演で、冒頭「わが民族の独立を脅かすものは何か。その一つは、いうまでもなく共産主義である」と語っているほど。つまり、南原の全面講和論は、冷戦という現実を克服すべきだとする政治哲学に基づいていた。
 カントの理想主義に基づく南原が目指したのは民族共同体の再生であり、それは歴史的、文化的に天皇制なしにはあり得ない。そのため、敗戦間近、東大教授ら七人で試みた対米終戦工作でも、天皇制の維持を前提としていた。
 実証主義的史学により皇国史観学派と対立した津田左右吉も同様の見解を発表している。昭和二十一年四月刊の『世界』創刊四号の「建国の事情と万世一系の思想」と題する論文で、津田は歴史的な実証を踏まえ、民主主義と天皇制との関係について次のように述べた。
 「国民みづから国家のすべてを主催すべき現代に於いては、皇室は国民の皇室であり、天皇は『われらの天皇』であられる。『われらの天皇』はわれらが愛さなければならぬ。……国民は皇室を愛する。愛するところにその民主主義の徹底したすがたがある。……かくのごとく皇室を愛することは、おのづから世界に通ずる人道的精神の大なる発露でもある」
 南原といい津田といい、戦前の碩学のぶれない基軸が今では新鮮だ。
 津田の原稿に驚いた吉野源三郎同誌編集長は、同論文の前に長文の釈明文を書いている。掲載はしたものの編集部の意に沿わない内容である、と。さらに、津田論文の影響を相殺しようと書かせたのが、南原の弟子である丸山真男の「超国家主義の論理と心理」だった。これは、論文の前半、日本政治の実証的な分析では南原や津田と軌を一にしながら、その結論は自律的な市民の出現に期待するという空疎なものである。
 ところが、この丸山論文は当時の左翼的風潮に合致して好評を博した。丸山は一躍マスコミの寵児となり、進歩的文化人の旗手とされて、戦後日本の言論界をリードすることになる。もっともそうした状況は、GHQ(連合国軍総司令部)によって、国民には見えないように実施された検閲による「閉された言語空間」であったことは、後に江藤淳が米国の公開資料を基に明らかにした。
 
母と郷土への思い
 ところで、民族共同体の再生を求める南原の原意識は、母から徹底して家長教育を受けた幼少年期に形成されたといわれる。破産した南原家の復興を願う母は、放蕩の夫を離籍した後、二歳前の南原を戸主とし、礼儀作法や言葉遣いを教え、一族の集まりには正装して出席させた。
 また、日々神仏を拝む母の姿が南原に深い信仰心を育てた。そこで芽生えた「超越的なものへの畏敬の念」が、後に内村鑑三からキリスト教を受け入れる土台となる。さらに南原は郷土愛の強い人だった。「郷土に寄せる言葉」に「思うに、われわれがそれぞれ生まれ育った郷土をもっているということは、どれだけ幸福なことであるか知れません」とある。そうした日本人の原意識から、日本的な政治哲学を構築することこそ、二十一世紀の課題なのではないか。

クョスコニョ    [1] 
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