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平成18年2月20日号社説 |
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天皇は「民の父母」
女性・女系天皇の是非をめぐる議論の高まりは七日、秋篠宮妃殿下紀子さま(39)のご懐妊が明らかにされたことで、ひとまず沈静化している。しかし、これまでの経緯で改めて分かったことは、天皇制度や皇室の役割について、戦後六十年、私たちがほとんど考えてこなかったという事実である。本来、日本という国の在り方を考える上で、最も大切なことであるにもかかわらず、私たちはそれを自分自身に問い掛け、子供たちに教えようとして来なかった。 立憲君主として 日本人にとって天皇とは何かを、歴史上最も真剣に考えたのは伊藤博文や井上毅など明治の元勲たちだろう。欧米の近代国民国家の体裁に合わせながら、国民感情と乖離(かいり)しない天皇の位置づけをしなければならない。指導を受けたプロシアのグナイストやシュタインは天皇が国家権力を一元的に掌握することを勧めた。相対的に議会の力が強くなると、国の運営が行き詰まってしまうことを経験していたからだ。 伊藤はそれを十分承知しながら、天皇が政治に巻き込まれないようにしようと知恵を絞った。その結果が、明治憲法第五五条の「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」の文言となる。伊藤は独自の見識で、天皇を政治主体の能動的な君主とするのではなく、内閣を政治の中心とする、今に続く日本の議院内閣制度を発足させた。 グナイストやシュタインが強調したのは、憲法はその国の歴史や文化に根ざしたものでなければ意味がないということである。日本より先に近代憲法を制定したトルコが、その後の運用に失敗したことから、近代憲法は白人以外には無理だというのが当時の世界の常識になっていた。そんな中で制定された明治憲法は、欧米各国の学者や政治家から高い評価を受けたという。日本は近代国家の体裁を整え、不平等条約の改正も実現することができたのである。 欧米諸国は政教分離を原則としながら、国民宗教としてのキリスト教を持っていた。米国を視察したトクビルが書いたように、民主主義はキリスト教の信仰の裏付けによって機能していたのである。ところが、日本にはそんな宗教はない。唯一、国民の間に広くあったのは、天皇への漠然とした敬愛の念である。明治の元勲らは、そうした国民感情と近代国家の論理との整合性に苦心することになる。 二代目総理となって内閣を運営した伊藤も、議会との困難な対立に直面すると、最後には天皇に頼らざるを得なかった。天皇はそんなとき、超法規的な「民の父母」として振舞い、事態を解決させてきた。つまり、天皇は平時には立憲君主だが、非常時には民の父母であった。 昭和天皇も戦争を終わらせる時、二・二六事件の時など、立憲君主の枠を超え、民の父母として国難を収めている。さらに、戦後復興に際しては全国を巡幸し、国民を励まされたのも、民の父母としての役割であろう。こうした天皇の側面は、家父長的な天皇観として、戦後の象徴天皇制度の下では排除されてきたが、むしろその基盤があってこそ、象徴としての天皇もよりよく機能するのである。 自分を問うこと 天皇を問うことは、歴史的な存在である日本人としての自分を問うことと同じである。その意味でも、私たちはもっと深く広く天皇について考えてみる必要があるだろう。例えば、天皇の役割の中で、あまり国民に知られていないのが祭祀である。国民のために常に祈っておられるのが天皇であり、とりわけ今の陛下は祭祀にご熱心といわれる。 養老孟司さんが『超バカの壁』(新潮新書)で、日本人の私は個人ではなく家族を意味していると書いているように、欧米とは違う個人主義の文化を私たちは持っている。だからこそ、民の父母としての天皇も生み出してきたのだろう。私たちの先祖はヨーロッパや中国の皇帝とは違う統治システムをつくり、国の安定をもたらした。そうした考察を国民的に深めていかないと、この国の将来は本当に危うくなる。
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