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平成18年4月5日号社説 |
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愛国者になったイチロー WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でイチローが男を上げた。「王監督を男にしなければ」と大リーグ以上の意気込みで参加し、アジアリーグでは「三十年以上、日本には勝てないと思わせるような勝ち方をする」と発言して相手チームを挑発した。準決勝リーグで米国に敗れると、全員を焼き肉に招待し、韓国に敗れると「人生最大の屈辱」とまで言った。そして、奇跡の優勝を遂げ、一人アリゾナへと発つ朝、ホテルの前で選手一人ひとりと握手し、名残惜しそうに言葉を交わしていた。王貞治監督も、「個人主義者かと思っていたが見直した」と言うほど。なぜイチローは愛国者になったのか。 自己の中に公を創出 第一に、ナショナルチームによるトーナメントという舞台が大きい。国を背負うと、誰でも気分が高まり、個人主義的ではなくなる。それに、高校野球と同じで、リーグ戦はあるが短期決戦に負けると後がない。第二に、マリナーズがしばらく優勝戦線から遠ざかり、目標は個人タイトルだけということから来る空しさを感じていたのではないか。 第三に、「このチームで大リーグに出たい」と言うイチローは、やはり日本人だったからではないか。そう考えると、イチローの振る舞いは納得できる。 日本的リーダーシップの特質を考えると、力を持てば持つほど、徳が高まり、周りに気を遣うようになる。決して覇権を求めようとしない。つまり、地位が高くなるにつれ、公の占める部分が大きくなり、私は小さくなる。自己の中に公を創出した割合に応じて、指導力を持つようになるという構図がある。 それには神道、仏教、儒教の影響があるが、中でも道徳の基礎として仏教の力が強いと思われる。日本仏教の開祖ともいえる聖徳太子が最も仏教に感動したのは、その平等思想にある。人をはじめ動植物やすべての存在にまで命を見いだし、「われと同じ」という考え。それが公の感覚につながる。古代律令制度は公地・公民制度により始まるが、その精神をうたったのが十七条の憲法だった。 梅原猛さんは、日本仏教の特徴は「仏になれる」ことだと端的に言う。つまり、崇拝の対象が、一神教の神のように人間と隔絶した存在ではない。そして、人のために生きようとする自分の心に、私たちも仏を発見することができる。こうした、自己の内面が外にあふれ出るような人格の在り方は、江戸時代に勤勉の哲学を説いた、石田梅岩や二宮尊徳にも共通している。つまり、そうした思想が日本人をつくってきたのだ。 自分と人、動植物、環境はつながっているから、「民のかまどはにぎわいにけり」と、心は末端を気遣う。「自分の言うことを聞け」ではなく、周りの声に耳を澄ますようになる。西郷隆盛に見られる日本的リーダーの在り方はそうだろう。 これは何も特別なことではない。だれでも愛する人と家庭を持ち、子供に恵まれ、家族のために働くようになると、等しく体験する世界だ。家庭は経済原理で営まれているわけではない。親が子のために尽くすのは、梅原さんの言うように菩薩の行。子供は成長に応じて家庭から地域共同体の一員となり、それなりの役割を果たしながら一人前の大人になっていく。それは、自分の心の中に公を育てる過程でもある。 教育基本法の改正 新学期が始まると、教育基本法の改正が話題になる。基本法というのは要するに理念を定めるものなので、当然、日本の歴史、文化に根ざしたものでなければならない。公共の創出が一つの課題になっているが、それを議論する際には、聖徳太子からの歴史を思い起こしてほしい。そして、宗教の力の大きかったことに気付くと、今の宗教教育否定の風潮がいかに間違っているか、分かりそうなものだ。 イチローを見る限り、上に行くに応じて公の感覚が強くなるという日本人のDNAは失われていない。安心しながらも警戒して、基本法改正の行方を見守りたい。
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