若々しい老い方を
今年の気象は極端な豪雨や猛暑が続くなど、どこか自然が穏やかさを失っているように思える。これも地球温暖化の表れなのだろうか。さらに、子供が巻き込まれる事件や家族を殺傷する少年犯罪の続発、自殺者の増加など、人々の心も壊れているような印象を強くする。日本という社会の底が抜けかけているのであれば、その対応を急がなければならない。その一つが、活力ある高齢社会の設計だろう。敬老の日を前に考えてみた。
今を大切に生きる 今年十月四日で九十五歳になる聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは、七十五歳以上の新しい生き方を提唱して「新老人の会」を立ち上げている。『生きかた上手』などの著作で提唱しているのは、高齢になっても新しいことに取り組む生き方だ。自身、予防医療や終末医療、理想の介護施設をはじめ、作曲やシナリオなど未知の分野に取り組み、常に十年先までの予定を立てているという。日野原さんは同書で、「我と汝」の思想から生まれる愛と平和の哲学で知られるマルティン・ブーバーに共鳴し、次のように書いている。 「哲学者マルティン・ブーバー(1878〜1965)は、ある日、年長の老師と語らったとき、その老師が『これまでの自分の考えをいっさい改めて、すべてを新しい目で見つめ考え直したい』と言うのを聞いて、驚きのまじった爽快さを覚えたといいます。ブーバーは『年老いているということは、もし人が始めるということの真の意味を忘れていなければ、本当に輝かしいことである』という真理にそのときふれたのです。生きているかぎり、新しい喜びを得ることに私たちはもっと貪欲であっていいと思います。それが若々しい老い方というものです」 日野原さんは八十八歳の時に米国の哲学者レオ・バスカーリアが生涯に一冊だけ書いた絵本『葉っぱのフレディ―いのちの旅―』をミュージカルにするため、初めて脚本を書いている。公演されたミュージカルは好評で、全国を回り子供たちに希望を与えた。そして今年、上演された改訂版のミュージカルには日野原さん自身も元気な姿で出演している。 こうした生き方から学ぶのは「今」を大切にするということ。過去や未来に束縛されるのではなく、今を一生懸命に生きようとする。それは仏教、とりわけ禅宗が教える生き方でもある。人間にとって過去は記憶でしかない。多くの人が嫌なことは忘れ、楽しい思い出ばかり記憶しているように、自分なりにつくられた歴史である。そして、目が前向きに付いているように、いつも今から未来に向かって生きるようになっている。 ところが、得てして人は「自分はこんなに不運だった」という過去や、「この先どうなるのだろう」という不確かな未来に束縛され、今を生きる自由さを失いがちだ。そのため、今の自分にとって一番大事な目の前の課題に誠実に立ち向かえない。それが将来への道を閉ざすことにもなっている。未来は今の延長でしかないことを知るべきだろう。 六十歳を還暦というのは、もう一度原点に立ち返り、ゼロから始めるということ。個人差はあるが、多くは子育ての義務から解放され、自分のために生きることが許されている。しかも、健康でさえあれば、豊富な経験や知識、人脈を生かすことも可能だ。 必要とされる存在に 高齢化に応じて社会制度を変えることも必要だが、先立つのは意識の変革だろう。日野原さんは「悲しみの体験が、人をやさしくする」とも言っているが、そんな高齢者が増えてほしい。過去の地位や待遇を引きずるような人になってはならない。 経済合理性を唯一の価値とするグローバル化は今後も進む。厳しい国際競争に勝たなければ、日本という国が生き残れないからだ。だからこそ一方で、子供や子育て中の母親、介護を必要とする老人など、別の価値で対応しなければならない人たちへの温かさが不可欠となる。農地や山林など国土を守る人の力も必要だ。周りを見れば、今自分が必要とされていることはいくらでもある。
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