「鎮守の森」を世界に
横浜国立大学名誉教授で国際生態学センター研究所長の宮脇昭さん(78)が第十五回「ブループラネット賞」を受賞した。同賞は、地球環境問題の解決に向けて貢献した個人や組織を顕彰するために、地球サミットがリオデジャネイロで開催された平成四年、旭硝子財団が創設したもの。宮脇氏は、国内千三百カ所の林やマレーシアの熱帯雨林を再生し、環境回復の処方せんを示したことが評価された。
ふるさとの森づくり 宮脇さんの森づくりは「ふるさとの木による、ふるさとの森づくり」。その土地に本来生えていた樹種を選び、複数の木を混植、密植する。最初に実施した、昭和四十年代の新日鐵大分製鉄所での森づくりでは、近くの宇佐神宮の境内でイチイガシ、タブノキ、シラカシ、アラカシなどのドングリを拾い、ポットで育てた苗を移植した。自然植生は神社などの鎮守の森に残されていたためだ。 平成八年にハーバード大学で開かれた神道とエコロジーに関する国際会議に招かれた宮脇さんは、「鎮守の森を世界へ」と題して講演している。また、宮脇さんの話を偶然、早朝のラジオ放送で聴き、共鳴した大本山總持寺前貫首の板橋興宗師は、全国の末寺で鎮守の森づくりを進めた。 鎮守の森について、宮脇さんは「単に自然の木による自然の森という言葉やホームフォレスト(屋敷林)、ドイツ語のハイマート・バルト(ふるさとの森)でもしっくりきません。『鎮守の森』には日本の伝統文化や自然に通じる深い意味があり、祖先崇拝という魂の問題にまで及びます。日本の神道や仏教は多神教で、神社や寺院はうっそうとした森に囲まれている。それが鎮守の森で、人々の生活に深くかかわっています」と語っている。 ブラジルで地球サミットが開かれた年、宮脇さんはアマゾンのベレンで千人による一万本植栽を指導した。植えたのはビローラなどその土地本来の木三十種類。三菱商事、エイダイブラジルなど日本企業が応援し、地元の人たちがボランティアで参加した。今では立派な森に育っているという。万里の長城沿いの森の再生では、林業試験場の古老の話を頼りに自然保護区に小さなモウコナラ林を見つけ、そこから八十万粒のドングリを拾って苗を育てた。 宮脇さんによると、本来の樹種を混植、密植すれば、世話が必要なのは最初の三年間だけで、後は管理が不要になるという。土地に合わない木だと半永久的に管理しなければならない。戦後、植林されたスギ、ヒノキ、マツなどの画一的な人工林の多くは輸入木材との競争に敗れ、荒廃した。加えてマツの枯死やスギの花粉症などの弊害も現れている。 岡山県吉備高原の農家に生まれた宮脇さんは、農家の人たちが雑草取りに苦労している姿を見ながら育った。大学で雑草生態学を専攻し、横浜国立大で書いた論文がドイツの植生学者、R・チュクセン教授の目に留まる。それがきっかけで宮脇さんはドイツに留学し、潜在自然植生を提唱する同教授の下で研究した。 その後、宮脇さんは全国を歩き、日本の植物地図ともいえる『日本植生誌』全十巻を平成三年に完成させた。日本の自然植生は大半がシイ、タブノキ、カシ類などの常緑広葉樹で、北海道、東北などの寒冷地は、ブナ、ミズナラ、カエデ類などの落葉広葉樹。自然状態では針葉樹は広葉樹林のすき間に生育していたにすぎない。ドイツでは、木材生産のほかに環境保全、災害防止などの多様な機能を取り入れ、針葉樹に落葉樹を混植する自然の森づくりを進めていた。宮脇さんは同様の運動を、長野県などで実施している。 見えないものを見る チュクセン教授に「見えないものを見ろ」と教えられた宮脇さんは、幼いころ遊んだ「鎮守の森」を思い出したという。人間によって失われる自然を、先人たちは宗教的意味を与えることで守ってきた。その先進性を現代科学が再発見したことで、世界に「鎮守の森」づくりが広がっている。
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