法然、親鸞の「法難」800年 念仏者の生き方見直す 知恩院で記念シンポ開く
知恩院で営まれた建永の法難800年追恩法要
六年後の第六十二回伊勢神宮式年遷宮に向けた広報活動の一環として、第二回「伊勢神宮シンポジウム・式年遷宮について語る夕べ」が六月二十九日、東京・中央区の浜離宮朝日ホールで開催された。ジャーナリストの南里空海(なんり・くみ)さんの講演に続いて、エリ=エリアフ・コーヘン駐日イスラエル大使とジャーナリストの大高未貴氏が対談。主催は伊勢神宮式年遷宮広報本部で神宮司庁、神社本庁などが後援し、約四百人が参加した。
最初に、田中恆清広報本部長が「遷宮は二十年に一度、社殿やご神宝類を一新することを通じて、大御神(おおみかみ)の大御光(おおみひかり)が新たに輝き、そのご神徳を多くの方が受ける。加えてわが国の伝統的な技術、民族が守り伝えてきた様式を次の時代に伝えるという意義がある。世界に類を見ない遷宮を広く伝えたい」と挨拶した。 映像作家のマンジョット・ベティ氏が製作した伊勢神宮のビデオ映像が上映された後、南里氏が「伊勢神宮―時空を超えた恤&ユ揩フ世界―」と題し、次のように講演した。 宗教とは祈りであり、赦しであり、認め合う世界であり、包み込むような世界、つまり「愛」の世界ではないか。言葉(教義)から生じる対立ではなく、それを超えて調和や共生、寛容という世界を探ると、日本には世界に発信できる神道がある。 伊勢神宮の祝詞ことばの多くは、国家国民の平安、皇室の安泰、五穀豊穣のひたすらな祈りである。日本の神道は宗教のようでありながら、それを超えた世界ではないか。 「言挙げしない」神道は伊勢の参道を歩くと理解できる。宇治橋を渡り、玉砂利を踏みしめ、手水舎で身を清め、五十鈴川でさらに手を清め、再び参道をご正宮に向かって歩くうちに、風の匂い、風の音、こずえの音、森から差す木洩れ日など神宮の神気に触れる。それは神域へのいざないであり、イデオロギーを超えた普遍的なものを感じる。 伊勢の神域の中で醸し出される万象の美、また祭服を身に着けた神職が参道を一糸乱れず進む姿は、研ぎ澄まされた魂の美を描いている。 祓い清めて神の前に向かう美しさは、余分なものを一切引いた究極の白と黒、そこに朱のアクセントを置いた、実にシンプルな日本人の魂の美である。ヨーロッパの文化が足し算だとしたら、日本の文化は引き算ではないか。・・・
全日仏教化セミナー 義家弘介氏が講演
全日仏教化セミナーで講演する義家弘介氏=6月27日、東京・千代田区の御茶ノ水セントラルビル
財団創立五十周年の全日本仏教会(安原晃理事長)主催の教化セミナーが六月二十七日夜、東京・千代田区の御茶ノ水セントラルビルで開かれ、「いま、子どもたちがあぶない PART3〜検証『子は親の背中を見て育つ』〜」と題して、前内閣官房教育再生会議担当室室長の義家弘介氏(36)が講演した。社団法人日本仏教保育会と財団法人全国青少年教化協議会の共催で、聴衆は約百二十人。 高校を退学処分されながら教師になり、北星学園余市高校での活躍で「ヤンキー先生」として知られる義家氏は二十五日、参院選に自民党の比例代表候補として出馬表明したばかり。「子供たちを守るために人生を懸ける」という同氏の決意を語る内容だった。 義家氏は「私は教育によって救われたので、忘れられがちな子供たちの声を社会に届けるため立候補を決意した」と語り、以下のように持論を展開した。 教育の目的は社会の中で自らを律する人を育てることだが、戦後教育は自律を自立にすり替えた。経済的自立を目指し知の教育が行われてきた半面、心は育っていない。体と徳の土台の上に知が備わり、自律の先にこそ夢がある。 自律に必要な三条件が知・徳・体で、それを成長の段階に応じて、教育の根幹に据えるのが教育再生である。「健全な肉体に健全な精神が宿る」ので、現代では体・徳・知の順番で育てるべきだ。給食費の未納が二十二億円にも上っているのは、給食を食育の授業時間だと打ち出さないからだ。授業であれば、残さず感謝して食べなさいと教えられる。朝食を食べない子、一人で食べる子が増えている。朝の家族団らんを大切にしたい。 今の社会には有害情報が飛び交っている。・・・
<2面>
- ガザに巨大モスク建設?
武力制圧のハマス幹部が公表
- カルマパ17世がフィンランド訪問
500人の仏教徒に説法
<3面>
- 10月に開基・熊谷直実800回忌
大法要に奉納歌物語など 光明寺
- 京都の夏・祇園祭が開幕
稚児らが「お千度」 八坂神社
<4面>
- 葛城の道を歩く
古代王朝と豪族たちの山すそ 役行者が修行した葛城山 渡来の仏教が神道と融合
<5面>
- 日蓮宗
管区寺庭婦人会代表者会議 使命は家庭の立正安国から
- 公開講座「鉄と神道文化」
銅鐸埋蔵理由に新説 神道文化会
<6面>
- 美術・パルマ―イタリア美術、もう一つの都展
ルネサンスからバロックへ
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