|
|
購読お申し込み・お問い合わせはこちらフォーム入力できます! |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成19年7月5日号社説 |
|
|
|
山に育まれた信仰
六月から七月にかけて全国各地で「山開き」が行われる。古来、各地の名山は信仰の対象とされ、普段は登山が禁じられていたが、夏の一定期間だけ解禁されたのが「山開き」の始まりだという。名山にはそれぞれの神社があり、富士山では七月七日に浅間神社で山開祭が行われる。木曽の御岳山では御嶽神社で六月十五日に山開き式が、NHKの連続テレビ小説「どんど晴れ」の舞台になっている岩手県の岩手山では、七月一日早朝に三つの登山口から地元の代表者らが登り始め、山頂で山開きの神事が行われた。石川啄木が「山に向かいていうことなし ふるさとの山はありがたきかな」と詠んだ山である。 石鎚山のお山開き かつて、「奥の細道」の取材で山形県から秋田県を回った折、波打つ稲田の向こうにそびえる月山が、いかにも神々しく見えたのが印象的だった。農家の人たちは、田植えや草取りに汗を流しながら、腰を伸ばした折にふとお山を見上げ、農閑期に登るのを楽しみにしていたのではないか。しかも、山には温泉が湧き、自炊しながら長期の湯治で疲れた体を癒やすこともできる。そんな素朴な思いから、山への信仰が培われてきたのだろう。 「千の風になって」で人気のテノール歌手、秋川雅史さんが生まれた愛媛県西条市では七月一日、霊峰石鎚山(いしづちさん)のお山開きがあり、全国から集まった大勢の信者でにぎわった。 六月三十日、ふもとの石鎚神社から智・仁・勇の三体の御神像が成就社まで移され、七月一日の朝、境内で勇壮な練りを披露。その後、大太鼓の音に送られて、白装束姿の信者の背にかつがれた御神像が山頂へ向かう。山頂では信者たちが御神像を奪い合うようにして体にこすりつけ、無病息災を祈っていた。昔、石鎚山は女人禁制の山であったが、現在では七月一日のみが女人禁制となっている。 標高一九八二メートルの石鎚山は西日本最高峰で、大樹海のかなたに瀬戸内をはじめ中国、九州の山々まで遠望できる。 古来から山岳信仰のメッカの一つで、駿河富士(静岡県・山梨県)、越中立山(富山県)、加賀白山(石川県・岐阜県)の「日本三霊山」に、大和大峰山、釈迦ケ岳(奈良県)、伯耆大山(鳥取県)と石鎚山を加え日本七霊山とも呼ばれてきた。なお、白山を外して木曽御嶽山(長野県・岐阜県)を加える説や、釈迦ケ岳を外して月山(山形県)を加える説もある。 地元の西条市にとっては、屏風のような石鎚山のおかげで台風の直撃を受けることも少なく、名実ともに市の守り神となっている。 石鎚山は千三百年前、修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)によって開山された。その後、寂仙菩薩が石鎚蔵王大権現と称えて深く信仰し、山路を開いて常住社(今の中之宮、成就社)を創立した。かつて、弘法大師も石鎚山で修行したと伝えられる。その後、上仙大師、光定大師などの高僧が、四国八十八カ所第六十番札所の横峰寺と第六十四番札所の前神寺を創立し、石鎚神社の別当寺となる。明治の神仏分離令により別当寺が廃止されたので神社となったが、長年の信仰から今も神仏習合が色濃く残っている。 神仏習合の名残 修験道は山を神としてあがめる日本古来の山岳信仰と神道、仏教、道教、陰陽道などが習合した日本独特の宗教で、奈良時代に成立した。明治以降、修験系の講団体が仏教色を薄め教派神道となったのが御嶽教や扶桑教、実行教、丸山教などで、不動尊の真言や般若心経の読誦など神仏習合の名残も見られる。 農耕民族の日本人にとって山は命の水を与えてくれる恵みの源であり、山のふもとから水田を開いていった。その聖なる山のふもとに一族の氏神を建て、祈りの場としてきた。山頂にも小さな祠を築き、そこで祭りをするのを楽しみにしてきた。 日本の王権が確立したのは、聖なる山に囲まれた大和盆地。「やまと」は「山門」で、山を神とする自然信仰から生まれたとの説もある。夏山に足を運ぶとき、山に育まれてきた日本人の信仰に思いを馳せたい。
|
|
|
|
|
|
|
|
特集 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
社是 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|