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平成19年2月5日号[天地] |
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クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』がゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞を獲得した。『十七歳の硫黄島』(文春新書)を書いた秋草鶴次さんは、十五歳で志願兵になり、海軍通信学校で学んだ後、昭和十九年、十七歳で硫黄島へ渡る。硫黄島で戦った日本兵二万千人余のうち生還したのは千二十三人。秋草さんはその一人だ▼米軍の上陸開始は二十年二月十六日。三月二十六日の総攻撃で栗林忠道中将は戦死し、島は米軍の手に落ちたが、地下壕には数千人が生き延びていた。無意識で倒れていた著者が米軍に収容されたのは五月十七日ころ。以来六十一年、「死んだ仲間たちに報いたい」と記憶を書きつづってきた。二月二十三日に摺鉢山に星条旗が掲げられた後も、二度日本軍が奪還し、日章旗を掲げている。二度目の旗は血染めの手製に見え、「拝む思いで眺めていた」という▼秋草さんが生き延びられた一つは、通信員のため過酷な地下壕掘りをしなくてすんだこと。それでも何度も死にそうになり、砲撃で右手の指を失っている。米軍はブルドーザーで壕をつぶし、日本兵がいそうな壕には石油を流し込み、火を放つ。捕虜になった日本兵が拡声器で投降を呼び掛けると、壕の中で言い争いが起こった。著者も自決用の手榴弾を渡されていたが、最後まで生きて戦争を見極めてやろうと思う。それは肉体的にも精神的にも人間の恆マ久試験揩セったと述懐している▼死の誘惑から著者を支えたのは親友と仲間、そして家族や故郷の人たちへの思いだ。意識が混濁する中、見えてきたのは対岸に草花がいっぱい咲いている川。その川を渡り、楽園の奥に分け入った秋草さんは文殊菩薩と名乗る人に出会い、「もうお帰りなさい」と言われ戻って来たという。
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