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平成19年9月20日号[天地] |
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兵庫県姫路市の郊外にある書写山圓教寺は天台宗別格本山で「西の比叡山」と呼ばれる。標高三百七十一メートルの書写山の山上一帯に伽藍が散在し、摩尼殿は清水寺を思わせる舞台が山の斜面にせり出して、見事な眺めだった▼奈良時代末から山岳信仰の道場として知られていた書写山に、比叡山を出て九州での修行を終えた性空(しょうくう)上人が康保三年(九六六)に入山し、小さな草庵を結んだのが同寺の創建とされる。やがて性空上人の名声は都にも届くようになり、播磨国司が法華三昧堂を寄進、寛和二年(九八六)には花山法皇が参詣した。上人に深く帰依した法皇により、「圓教寺」の寺号を受け、勅願寺の待遇が与えられた。翌永延元年(九八七)には講堂が完成し、比叡山から高僧を招いて盛大な落慶法要が営まれ、「西の比叡山」が誕生する▼その後、圓教寺は戦乱に巻き込まれる。承安四年(一一七四)には後白河法皇が参籠して平家滅亡を祈念し、元弘元年(一三三一)には隠岐を抜け出した後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒ののろしを上げている。戦国時代の天正六年(一五七八)には播磨攻めの羽柴秀吉に占領され、二年近く軍事拠点として使われた▼書写山が祈りの山に戻るのは江戸時代になってから。諸堂も本来の荘厳さを取り戻し、西国三十三カ所巡礼の二十七番札所として賑わう。最近では、映画「ラスト・サムライ」のロケに使われた。
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