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平成20年2月20日号社説 |
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語り継ぐ物語を
上方落語の世界を舞台にしたNHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」が面白いと人気が高まっている。 去る二月八日は、東京・日暮里の南泉寺で行われた、講談中興の祖とされる松林伯圓を偲ぶ第三十四回伯圓忌に参加した。多くが年配の参列者の中で、若手の講談師たちが世話役を務めていた。日本の伝統話芸は師から弟子へと継承されていく、まさに語り継ぎである。その形式は、古来、私たちが連綿と行ってきたことであり、文字や映像による継承は、人間の歴史からいってごく最近のことにすぎない。そう思うと、私たちはもっと口で語ること、耳で聞くことの意味を大切にすべきではないか。 生きる力を育てる 脇明子ノートルダム清心女子大教授は近著『物語が生きる力を育てる』で、「耳からの物語体験」という言葉を使っている。一般的には「読み聞かせ」だが、それを聞く側を主体にしたもの。というのも、物語を読んでもらって聞くと、その中にすぐに引き込まれ、自分で読むと気になる不合理な部分も全く気にならなくなり、物音や匂い、手触りなどが実体験のようにリアルに感じられるからだ。それは、語り手と聞き手という両者がいて、その間に一定の緊張関係があるからだろう。 三浦佑之千葉大教授の『口語訳 古事記』も、古老が若者に語り聞かせるような口調でつづられている。だから、目で読むより声に出して読んだほうが心にすっと入る。古事記に収録されている神話の数々も、そのようにして部族の中で語り継がれてきたのであろう。 脇さんの学生たちは、幼稚園などで読み語りの活動をしている。子供のころに、耳から聞いた物語体験が、やがて読書の習慣につながることを期待してのことだ。そして、「いま、私が思っているのは、『昔の暮らしを描いた作品や、古い作品こそ、いまの子どもたちに必要なのではないか」と言う。なぜなら、「たとえ不便なことやつらいことがたくさんあっても、『こういうのが人間らしい暮らしなんだろうな』と実感できるような生活が、まるごと保存されているからです」と。 ところが、今の若い母親の中には、テレビやゲーム機に子育てを任せているような部分が多い。しかし、メディアは一方通行で、聞き手の様子を見ながら話し方を変えるようなことはしてくれない。そこにはコミュニケーションが成り立っていないため、子供は楽しんでも、人間社会で生きていく上で大切なコミュニケーション力が育たない。 神話も広い意味での昔話の一つで、これは大切な話だから覚えておいてほしいという思いで、語り継がれてきた。その思いは、今の父母たちも変わらない。自分たちの人生はせいぜい数十年だとしても、それはその前の父母、祖父母たちの人生の上にあるもの。その意味で、神奈川県などが高校での日本史必修を決めたのは、遅まきながら当然のことだ。 語ることは考えることであるから、先祖たちは、物語を語ることによって生きる知恵を獲得してきたのだろう。最初は短い教訓話だったのが、聞き手の興味を引くため、実感を伝えるため、少しずつ長くなり、筋書きのある物語に成長していった。聞き手や時代背景を考え、少しずつ内容を変えてきたことも想像できる。 人の生きた証 「そんな『物語の力』を、私たちはいま、見失いかけてはいないでしょうか。子どもたちが、温かみのある本物の人間的知性を身につけていくためには、力のある物語、豊かな物語の支えが、ぜひとも必要です」と脇さんは訴える。 考えてみると、人の生きた証が物語であり、私たちも日々、物語を紡ぎながらそれぞれの人生を生きていると言えよう。年を重ねるにつれ昔のことを思い出すのは、反芻しながら自分なりの物語を作っているのだろう。神話や昔話は民族の大切な宝なのである。 歴史学者トインビーは「十二歳までに神話を学ばない民族は滅ぶ」と語ったという。心ある人たちは、それを肌感覚で感じているのではないだろうか。「偽」ではなく「真」が社会の主流となるようにする取り組みは、個々の家庭で始められなければならない。
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