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平成20年4月20日号社説 |
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チベットに平和を
北京五輪の聖火リレーが四月二十六日には長野県にやって来る。ヨーロッパから米国、南米でのリレーでは、中国チベット自治区における人権弾圧への抗議行動が相次ぎ、長野市の善光寺から始まるリレーでも、在日チベット人らが沿道で抗議の横断幕を掲げると表明した。第十四世ダライ・ラマ法王は「チベットの人々はオリンピックの障害となることを起こすべきではない」との声明を発表し、沈静化に努めている。同時に、人々の表現の自由は誰も制限できないと語る。その訴えが世界のチベット人やその支持者に届くには、中国政府がダライ・ラマ法王との対話再開に踏み切るしかないのではないか。それが中国の将来にとっても好ましい選択であろう。 法王との対話を チベット文化研究会所長のペマ・ギャルポ氏によると、ダライ・ラマ法王が中国が主催する北京五輪を支持し、暴動の広がりを食い止めたいとの声明を発表したのには二つの意味があるという。一つは、チベットの遊牧民までが抗議活動に加わり始め、ゲリラ戦になる恐れが出てきたので、それを防ぐこと。法王は何よりチベット人の犠牲者を増やしたくないという。もう一つは、中国に対して、「今までは騒乱が拡大しないように努力してきたが、これ以上弾圧を続けると抑えきれない」との警告である。「実際、法王が自制を求めているのでチベット人も我慢しているところが大きいが、もう怒りが限界に来ている。だから、法王があのような呼び掛けをしなければ、民衆はもっと抵抗活動をしたと思う」とペマ氏は語った。 このままでは、北京五輪を機に中国を訪れる多くの外国人がチベットを観光しようとしても、中国政府は国内旅行を制限せざるを得なくなるだろう。一九六四年にアジアで初めて開かれた東京五輪が戦後の荒廃から復興した日本を世界にアピールする絶好のチャンスになったように、世界の経済大国となった中国も、北京五輪で世界の一等国となったことを誇りたいはずだ。そのためには、恥部ともいえる人権問題について前向きに対応する姿勢を示す必要がある。その試金石の一つがチベット問題だろう。 一九四九年に国共内戦に勝利し、建国を果たした中国がチベットに侵攻したのは翌五〇年。五一年には完全制圧して、五八年に起こったチベット大騒乱も軍事力で鎮圧し、ダライ・ラマ法王は五九年にインドに亡命した。それから既に四十年を経て、今、チベットで抗議行動を起こしている若い世代の僧や市民たちは、中国支配下のチベットで育った人たちである。 とりわけ、ラサまで青蔵鉄道が通じてからは、チベットを訪れる外国人観光客が増え、経済的利益を求めて大量の漢民族が流入して来ている。その結果、それまでの行政による弾圧から、民間レベルでの経済差別がチベット人を苦しめるようになったという。大規模な暴動の背景には、経済格差の問題があることが多い。 そうした構造は、急速な経済発展を続ける中国の辺境はどこも同じだが、経済政策では解決できないのが宗教問題である。日本密教にも通じるチベット仏教は今や世界的に広がり、世界で仏教といえば禅かチベット仏教かといわれるほど、欧米人にも受け入れられている。それが、今回のチベット騒乱に対する世界的な関心の背景だ。 宗教に寛容な政治 ペマ氏は「この六十年間、チベットが地上から消えなかったのは、やはり仏教のお陰だと思う。世界中にチベットがこれだけ知られ、友人ができ、チベット仏教の信者が増えたのは、チベット二千年の歴史上初めてのことだ」と言う。 だからこそ、チベット仏教の頂点に立つダライ・ラマ法王の影響力は大きい。中国が真の民主国家に生まれ変わるには、何より宗教に対する寛容な姿勢を明らかにする必要がある。法王との対話再開は、それを世界に示す機会ともなるだろう。 経済発展を遂げた国の政治が民主主義を否定したままであり続けることは許されない。本来、民主主義と宗教は親和的、補完的な関係にある。中国が宗教に寛容になることは、中国人にとっても好ましい社会をもたらすに違いない。
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