|
|
購読お申し込み・お問い合わせはこちらフォーム入力できます! |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成20年5月20日号社説 |
|
|
|
心と体を一つに
明治大学教授の齋藤孝さんが近著『学び力』で「学びによる実存主義」を提案している。「学びこそ、人間にとって最大の喜びであり、人生の目的でもあり、生きていくうえでの大きな武器ともなる」「(学びとは)私たちの実存にかかわる根源的な力、生への姿勢のこと」だと言う。確かに、今の日本が閉塞状況にあるのは、さまざまな理由で学び力を失ってきたからではないか。青春時代のように何にでも興味を持ち、ひたむきに学ぶ姿勢を続けていれば、困難な状況も克服することができる。そんな生き方を日本が、国民一人ひとりが思い出す必要があるようだ。 神の心を感じて 本紙講演会で、広島大学環境平和学プロジェクト研究センター所長の町田宗鳳さんは、心と体の統合を強調した。心身統一は古くから諸宗教が共通して唱えてきたことだが、今は心身をはじめさまざまな分裂が戦争や地球環境破壊の危機をもたらしているという。臨済禅に始まり、キリスト教神学からイスラームなど世界の宗教を学んできた町田さんが、極めて身近なことを、分かりやすい言葉で語るのが印象的だった。 齋藤さんが教育の道に進むのを決めたのは、「構え」という概念に出会ったからだという。武道などの型から、心の持ち方、生きる姿勢までの意味を含んでいる。例えば、小学一年生には、まず腰をしっかり据え、背筋を真っ直ぐにすることを教える。その姿勢が決まると、先生の話すことが自然に耳に入るようになるという。これは町田さんの言う心身統一と通じている。 現地で学ぶことの大切さを再認識したのは、五月十四、十五の両日、下鴨・上賀茂神社で葵祭についての学習だった。石清水八幡宮の石清水祭、春日大社の春日祭と並び三大勅祭の一つなので、祭りの主役は天皇陛下から遣わされた勅使であることがその第一。パンフレットにもそのことは書かれているのだが、頭に残っていない。つい、華やかな斎王代はじめの女人行列に目が行ってしまう。 また、下鴨神社は建物五十三棟が重要文化財で本殿が国宝だが、古文書や御神宝などは何も残っていないという。明治四年(一八七一)の太政官布告により神職の世襲は弊害があるとして廃止されたため、暮らしに困った社家がそれらを売り払ったためだ。今でも古道具屋に出たりすると買い戻しているとのこと。神仏分離令や神道の国家管理で被害を受けたのは仏教だけではないことが分かった。 葵祭の説明では、繰り返し神道は感じる宗教だと言われたが、その中心は神の心だろう。神の心を感じるのは、心身が一つになっている状態でもある。宗教者の中に、朝に夕に神と対話しながら、その日の勤めを行っている人たちも少なくない。彼らにとって神は観念ではなく、実感を伴う現実である。 そう考えると、神道とは本来の日本人の生き方を伝えるものといえよう。上賀茂神社の田中安比呂宮司は「日本の伝統文化は同じことを繰り返してきたことが尊い」と言われたが、その典型が式年遷宮に表れている。もっとも、その形を守るのは大変なことで、人々の力を集めるために、時代に応じた工夫が必要だ。上賀茂神社では、葵祭に大量に使うフタバアオイが減少しているため、地域の小学生にプランターで育ててもらい、境内の庭に移植して増やしている。今年の女性たちは、そのアオイを飾って祭りに参加したという。伝統文化を伝えるとともに、後継者を育成する取り組みだ。 個人を育てる 社会保障の問題などの解決に、私たちはすぐに新たな仕組みをと考えがちだが、本当はそれを支え、担う人間の問題が大きいことを忘れがちだ。人間の問題だというと、その矛先が自分にも向くので、無意識的に避けているのかもしれない。 しかし、家庭も地域も会社も国も、要は健全な個人によって支えられているのは確かな事実だ。その個人を育てるために、宗教者は広く社会にメッセージを発すべきだろう。できれば齋藤さんや町田さんのように、分かりやすい言葉で。
|
|
|
|
|
|
|
|
特集 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
社是 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|