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平成20年6月20日号社説 |
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善通寺でうどん法要
香川県善通寺市の真言宗善通寺派総本山善通寺(樫原禅澄法主)で六月十五日、うどんの製法を中国から日本に伝えたとされる弘法大師空海に感謝する「うどん法要」が行われた。四月から開かれている「善通寺創建千二百年祭」の一環で、「シルクロードは麺ロード」をキャッチフレーズに、五月三日から高松市などで開催されていた麺文化の祭典「世界麺フェスタ2008inさぬき」のフィナーレを飾るもの。僧侶の読経の中、この日が誕生日の空海像にうどんやラーメンなど国内外十七種類の麺をささげる献麺式があった。観光協会の発案を同寺が受け入れ実現したという。 小麦は西へ、麺は東へ うどんの伝来時期は明らかでないが、唐の時代には水車の発明によって大量の小麦粉が作られるようになったから、空海も長安でいろいろな麺料理を食したと思われる。讃岐には古くから小麦、塩、イリコ、醤油が生産されていたことからうどんが発達し、元禄時代の金毘羅参りの屏風絵にはうどん屋が描かれている。香川県ではうどんは特に好まれて、一人当たりの年間うどん消費量二百三十玉は日本一だ。 昔は、うどんは接待食や行事食として、日本全国に広がっていた。高野山での法要の接待でも、うどんが出されている。明治以降、製麺の機械化が進み、家庭でのうどん打ちの技術が衰退した。うどん好きの讃岐ではそれが受け継がれていたのが、今日の讃岐うどんにつながる。 讃岐うどんのうまさを代表する腰の強さは、うどんに取り込まれた無数の気泡の故。小うどんを噛むと気泡が「ゴムまり」のように反発し、それが腰が強いという食感につながる。小麦粉をこねるとできるグルテンが気泡を取り囲むので、それが手打ちの技の極意。水の加え方や塩加減によって異なる小麦粉の物理的、化学的変化なども重要だ。また、うどんのもちもちした食感は、小麦粉のでんぷんに含まれるアミロースによる。 五月四日には高松でシンポジウム「シルクロードは麺ロード」が開かれた。民族学者の石毛直道さんは、二〇〇五年十月に中国青海省で発見された四千年前の世界最古の麺の化石について、アワやキビが原料なので麺とはいえず、グルテンを含む小麦から作られたのが麺だ、と語った。 西アジアで開発された小麦が中国で栽培され始めたのは紀元前四世紀の戦国時代で、回転式の石臼による製粉技術が西方から伝わり、麺が作られるようになる。「蒸し料理と汁物と融合して、最初はすいとんのようなものから、紀元前一、二世紀にスープと絡み合わせるのによい細長い麺が生まれた」という。その後、中国の麺はシルクロードをたどってアラブ世界に伝わりイットリーアになる。それがシチリアからイタリアに伝わり、ヨーロッパに広まったと語り、「小麦はシルクロードを西へ、麺は東へと渡り、東西の食文化を豊かにした」と結んだ。 DNA考古学の佐藤洋一郎さんによると、麦が誕生したのは約九千五百年前、トルコ西部のアナトリア高原で、それが八千年前にカスピ海の南側に至った麦が雑草と自然交配して普通小麦が生まれ、三千五百年前に中国に伝わり、水と塩に出合って麺になる。「やがて二千年前に麺文化が花開き、日本にも伝わった。中国の硬水で練った麺は強い腰を持つ。軟水の日本では腰を出すために塩を使う」と説明した。 石毛さんによると、二〇〇年前後の後漢末に「湯餅(ゆべい)」と「索餅(さくへい)」とあるのが麺の初出で、索餅は後に「索麺」となり、そうめんの祖先と考えられる。日本では奈良時代で索麺が食べられるようになった。うどんについては、法隆寺の一三五二年の記録に「ウトム」とあるのが最古という。 信仰と観光の共演 十五日、善通寺護摩堂の前では古くなったせいろや割りばしを炎の中に入れる「おたきあげ」が営まれ、幼稚園児らによる「うどん音頭」の総踊りがあった。もちろん観客へのうどん接待も行われ、ありがたく頂く。空海に感謝しながら、うどん文化を次の世代に伝えようとする信仰と観光の共演であった。
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