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平成20年7月5日号社説 |
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環境めぐる宗教と技術
神道文化会の公開講演会「自然と神々そして日本人」の翌六月二十九日、東大で開かれた「イネイネ・日本」プロジェクト一周年記念シンポジウム「イネのバイオエタノール化の実証に向けて」に参加した。イネのわらやもみを原料にエタノールを生産することで、化石エネルギーの使用を削減し、併せて農村の振興と持続可能な社会の実現を目指している。こちらは技術者や研究者ばかりの集まりだが、共通の認識も見られ興味深かった。 バイオエタノール 各地を歩くと、耕作放棄された田畑が目立つ。二〇〇五年の統計で三十八万六千ヘクタール、日本の農地全体四百四十五万ヘクタールの8・7%に及ぶ。また、水田の三分の一から四分の一ほどが、米の価格維持のため「減反」という生産調整で休耕田になっている。背景には米の消費量の継続的な減少がある。 現在、日本全体の米の消費量は約九百五十万トンで、利用可能な水田の全部で稲を栽培すると千四百万トン取れるため、毎年四百五十万トンほどの過剰になってしまう。日本人一人が一年間に食べる米の量は、昭和四十年には百十一・七キロだったのが、平成十年には六十五・二キロに半減している。豊かになるにつれ、必要なカロリーを畜産物や油脂から取る割合が増え、その分だけ米を食べる割合が減ったのである。 神道にかかわる祭事の多くが稲作に関係したものであり、日本人の生活文化や共同体が米作りを中心に形成されてきたことを考えると、米の消費減少が日本文化の衰退につながらないか心配になってしまう。さらに、耕作放棄地の拡大は、森林崩壊と合わせて、国土の喪失につながる。恵まれてきたはずの日本の自然環境も、経済環境の変化により、各地でその維持が困難になっているのである。 「イネイネ・日本」のシンポジウムでは、稲わらを使ったバイオエタノール製造の実証プラントや休耕田を使った飼料用のイネの栽培の事例などが紹介された。島根県では特定非営利活動法人しまねバイオエタノール研究会がごみ焼却の廃熱を利用して製造プラントを動かしている。北陸での、休耕田で多収穫のえさ米を栽培して水田を維持し、米不足になると普通の米に転換するという実証は、食糧安全保障からも魅力的だ。 石油価格の上昇がバイオ燃料には追い風ではないかと思われたが、原料となるイネの栽培やもみの収集にも石油を使うため、原料価格の上昇を招いているという。実証段階であるから現実的なコスト計算は必要だが、それだけでは成り立たない。また、生産から消費、残渣の利用など地域ぐるみで取り組まないと回らない。経済の論理だけでは、日本の農業も自然も維持できなくなっている。 農水省のホームページでは、耕作放棄地の活用に市民ボランティアの参加を呼びかけていた。奥能登の国指定名勝・白米(しろよね)千枚田は、棚田という日本の原風景を守ろうという全国のファンの協力を得て維持されている。 興味深かったのは、山間地のような耕作が難しい田のイネのほうが、平地部に比べおいしいということだ。昼夜の温度差や水質が関係しているらしい。そうすると、棚田では品質の高い米を、平地ではえさ米をという区分けも考えられる。いずれにせよ地域全体として取り組む必要がある。ビジネスモデルならぬ自然環境を含めた地域モデルを示し、それに住民が進んで加わることで、住みよい地域づくりを進めるというのが理想的だろう。 日本文化で包む 古来、宗教は人々の暮らしを大きく包んでいた。自然(じねん)という言葉は「自然に」というように副詞的に使われる仏教用語で、名詞としての自然はなかった。それは人間と自然とは一体で、分かれていなかったからだという。それが明治以降、分離してとらえる西洋文明になじみ、個人主義が普通になり、さらに心と体さえ別々になりつつある。 かといって、近代西洋文明を否定することはもはやできない。その弊害を緩和するため、日本の文化で包み込むことを考えてはどうだろう。環境からの要請は、見方を変えれば、日本文化の見直しにつながることに気づいた。
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