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平成20年7月20日号社説 |
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宇宙には意味がある
志賀直哉の『暗夜行路』に、人生に絶望した主人公が夜道をさ迷っていたとき、ふと見上げた空に銀河がきらめくのを目にして、そんな気持ちから抜け出せたというくだりがあったのを覚えている。社説子など、家に帰るたびに全身の喜びで迎えてくれるイヌに、どれだけ慰められていることか。ギリシャの哲学者は、自然を観察してその奥底にある法則を発見したが、パウロはそこに神の実在を確信した。以来というか、その前より、宇宙には意味があるという思想と、意味はないという思想の、二つの流れがある。 ニヒリズムの時代 創造デザイン学会が翻訳した『意味に満ちた宇宙』の「日本語版への序」で、共著者のベンジャミン・ワイカー博士とジョナサン・ウィット博士は、次のように述べている。 「存在の無意味さを主張する哲学は『ニヒリズム』と呼ばれますが、それはこの宇宙にも、我々の世界にも人生にも、究極の目的が全くないことを意味する名前です。我々はこの広く流布している哲学が全く間違いであると主張します。それは悪い哲学です――その主張するところが我々の気に入らないからでなく、それが誤った科学観と、自然そのものの誤った見方に基づいているからです」 ダーウィン進化論は生物学上の大きな業績であるが、問題はそれが社会思想に与えた影響である。進化論を歓迎したのは、教会の権威に反発していた人たちであり、やがてそこからスペンサーの社会進化論など人種や民族の間にも優劣があるとする思想が生まれ、ついにはユダヤ人の大虐殺を容認するナチズムを生み出してしまった。 二人は次のようにも述べる。 「西洋においては数世紀にわたって、ある種の鉛のような唯物還元主義が知識人の心を支配してきました。そのような還元主義の教えるところでは、世界は全然すばらしい所ではありません。それは純粋に不合理な、敵対的ですらある自然の諸力の偶然の産物です。宇宙も我々の世界も、我々自身の人生さえ無意味だと教えます。どうしてそんなことが言えるのでしょうか。この世界が、ただ盲目的に作っては壊されるだけの気まぐれな化学的過程だとしたら、そこからどんな意味も生ずるわけがありません」 唯物還元主義を代表するのがマルクスとフロイトであろう。彼らの思想によって神なき近代合理主義は人類の最も進んだ思想となったように思えたが、やがてそれはニヒリズムに転化し、砂粒のようなエゴイズムの社会を現出してしまった。 欧米社会では主に宗教勢力が、唯物還元主義のシンボルである進化論と戦ってきたため、学校で進化論を教えることの是非が裁判で争われるなど、「宗教と科学」は大きな政治問題にもなりうるホットなテーマである。 ところが日本ではどうであろう。NHKでは「ダーウィン」を名乗る科学番組で、自然の素晴らしさを強調している。「素晴らしい」などと、あたかも自然に意味があるかのように言うのは、ダーウィニズムの趣旨に反するのだが、そこまで考えていないのだろう。メディアや一般社会と同様、宗教界もこの問題には無関心だ。六月に南山大学で開かれた「宗教と社会」学会でのテーマ・セッション「日本における『科学と宗教』の対話の意味を問い直す」は極めて低調で、議論もかみ合わないものだった。 『種の起源』150年 一方、神道界や仏教界では、地球環境や宗教紛争問題を取り上げ、多神教的な日本の宗教風土から一神教世界に解決への意見を発信すべきだとの主張が見られる。 それに本気で取り組むのであれば、上述したギリシャ以来の二つの思想の対立に日本が加わる意味を考え、さらに科学者や政治家、農業関係者をはじめ広く国民を巻き込むよう構想する必要があるだろう。そうでないと、語るだけで実現には結びつかないからだ。 来年はダーウィン生誕二百年で、『種の起源』出版百五十年でもあることから、ダーウィンをたたえる多くの事業が計画されている。 本紙では、創造デザイン学会代表の渡辺久義京都大名誉教授による連載を計画しており、進化論をめぐる議論の深まりを期待したい。
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