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平成20年11月20日号社説 |
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グローバル化と仏教
世界仏教徒会議で十五日、上映された映画「幸せの経済学」では、グローバル化で破壊された世界各地の人々の生活とともに、それに代わるべきローカルな経済への提言と多くの事例が紹介されていた。最近の世界金融危機の影響が懸念される中、仏教の縁と慈悲の思想に基づいた経済の在り方を探る上で示唆に富むものだった。 グローカル 映画制作者のヘレナ・ノルバーグ・ホッジさんは、「グローバリゼーションによって恊Sの植民地化揩ェ進行している。これは発展途上国だけの話ではなく、私たちのごく身近なところでも起きている。往々にして責任を問われない巨大国際企業は、我々消費者を操作しているだけではない。出版や放送といったメディアを実質的に独占することによって、私たちの思想や市民としてのあり方にまでますます影響を与えている」と警告する。 これだけだと過激な反グローバル主義のようだが、それに続いて「しかしこれは、将来を悲観した映画ではない。より健全で幸福な未来の礎が、経済のローカライゼーション(地域化)にあることをむしろ指し示している」とあるように、地域経済を発展させることで、グローバル経済の毒を中和し、補完しようという考えだ。 農業を例に取ると分かりやすい。トウモロコシや小麦などが運送費をかけて海外から輸入しても安いのは、大規模経営などで生産コストが低いからだ。国内でも、農業だけで生計を立てようとしたら、大規模化し産地化するしかない。それが自由競争の市場経済であり、安い食料品の恩恵を受けるのは消費者だ。 そんな農家も、例えば自家消費などのために多品種少量の野菜などを栽培したりしている。また、季節の野菜を朝市などに出し、少しの収入を得る人たちもいる。地域の消費者を対象にするなら、大量に生産する必要はないし、運送コストもわずかで済む。消費者も、生産者の顔が見えるような地域の産物を、安全上の理由から好む傾向が強まっている。このように、市場経済のままでもグローバル経済とローカル経済は融合し、補完し合っているのが現状だ。こうした状況を、ある人たちは「グローカル」と呼ぶ。 法律や補助金、税制でそうした方向に導くことも可能だが、望ましいのは消費者の賢い消費活動によって、地域の生産者を育てることだろう。それがイタリアで始まったスローフード運動のやり方でもある。伝統的な農業を近代的なマーケティングなどで見直し、新しいメニューを提案し、優れた産品として流通するようにした。 ホッジさんは「日本では怩ミきこもり揩ェ問題になっている」と述べているが、ひきこもりは近代社会が持っている個人化、孤立化の行き着いた社会病理の一つで、周りとの関わりが結べなくなってしまったのが原因と言えよう。近代以前の人たちは共同体の中で暮らしていたが、近代化、都市化はそこから個人を解放した。私たちは自由を獲得したと同時に、安心を失ったのである。ここにこそ、仏教の縁の教えは生かされよう。 しかし、少子高齢化や社会の個人化が逆戻りすることはない。そのメリットを十分すぎるほど現代人は味わっているからだ。だから、ここでもどう補完していくかが課題となろう。そう考えると、この問題は夏目漱石やマックス・ウェーバーが取り組んだ近代人ならではの悩みでもある。近代社会に生きている私たちは、それから逃れることは不可能であり、むしろ悩みと向き合い、悩みを深めていくことにしか解決の道はない。 専門家との対話を 釈尊の仏教は、当時のインド社会が持っていた階層性などの問題を解決する生き方として創始された。つまり、常に今の問題に向き合い、解決を図るのが仏教的生き方であろう。だから、単なる反グローバル、反市場経済だと思われるのはマイナスではないか。むしろ、その中で人間らしく生きる道を探るのが仏教らしい。 その意味で今後重要になるのは、いろいろな専門家や実践家の参加である。科学者や経営者、農家などの人たちと対話を広げていく中で、現代社会における仏教の在り方を探ることだ。それを世界規模で行う機関として、世界仏教徒連盟に期待したい。
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