内なる神仏と出会う
生命科学者で歌人の柳澤桂子さんの近著『日本人への祈り』(角川春樹事務所)は、柳澤さんの人生と思想の全体像が見えて興味深い。 発生学などの分野で将来を嘱望されながら原因不明の難病にかかり、三十年間にも及ぶ苦闘の末にたどり着いた境地は、ベストセラーとなった『生きて死ぬ智慧』(小学館)で説いた般若心経の世界だ。柳澤さんの生き方は、宗教を遠ざけながら、その実、宗教を求めている現代人の心に響くように思える。 一元論の世界に 柳澤さんの父方は、平安時代の参議、小野好古(おのの・よしふる)から三十三代目に当たる神主の家系。好古の祖父は、昼は朝廷に、夜は地獄で閻魔大王に仕えたという小野篁(おのの・たかむら)で、弟は小野道風、先祖に遣隋使の小野妹子がいる。そのため家に仏壇はなく、植物学者だった父親は「神などいない」という人。柳澤さんに祈りを教えたのは、新潟生まれで仏教信仰の篤かった母で、毎日、誰かの命日だとして神棚に手を合わせ、子供らにもそうさせていたという。 著者は生命科学者らしく、「祈りというものは、大いなるものを畏敬する心の中に組み込まれている行為」だと解説する。つらいとき、悲しいときに祈るのは「人間の自然な姿で、脳の中に回路がある」のだと。 同じ植物学者と結婚し、一男一女を出産した後、三十二歳で柳澤さんは吐き気、腹痛などに襲われる。いくら検査しても原因が分からず、心身症、「気のせい」「怠け癖」などと言う医者さえいたという。一時は夫さえもその言葉を信じ、柳澤さんは絶望的な孤独を体験する。 宗教に救いを求めもしたが、得られない。どんなに優れた宗教家も「その人の人格以上のことはできない」と分かり、「宇宙の中で全くの孤独、これが人間本来の姿で、当たり前なんだ」と悟る。 後に、原因は脳内化学物質、セレトニンの欠乏症と診断され、長年の苦しみから解放された。 その間、柳澤さんは研究者としての仕事を失うが、歌や文筆に生きる道を見いだした。「ひらめきという点では、短歌と科学はそっくり」だと言う柳澤さん。科学者として探究したいのちの実像は、自己と非自己の区別のない世界で、その境地を、著者は「野の花のように生きられる」と表現する。難病の中で遭遇した神秘体験にも、それは重なるようだ。 勤務先を解雇された夜、橋本凝胤元薬師寺管主の『人間の生きがいとは何か』を一晩中読んだ早朝、障子が白みかけた時、突然、炎が燃え上がったように、明るい大きなものに包まれたような感覚になった。すると、目の前に道が一本見えて、「大丈夫だよ。そのまま行けばいいんだから」と言われたようで、惨めな気持ちが消え、心が軽くなったという。 柳澤さんの思索は主に本を通してで、「神の前に、神とともに、神なしに生きる」という、ナチスに処刑されたドイツの神学者、ボンヘッファーの言葉が心にぴったり来るという。仏にすがるのではなく、仏の境地にまで自分を高める、自我のある二元論の段階から、宇宙と一体化した一元論の世界に至ること。それが、著者の考える宗教的な生き方で、「こころの成熟」なのだと語る。
いのちの教育を 柳澤さんが「いのちの教育」の必要性を叫ぶのは、今の日本には還暦になっても子供のような人が多いからだ。わがままな子供のままで、体だけ大人になった人が、理解できないような事件を起こしてしまう。自我を確立した上で、他への思いやりを深めないと、社会は混乱し、退化してしまうのではないか。 「自我を捨てて宇宙に溶け込む」生き方は、既に脳にその回路があるから可能であり、「神は脳の中にある」という、生命科学者らしい著者の宗教観に抵抗を感じる向きもあるだろう。しかし、それは釈迦が到達した悟りの世界であり、科学と宗教の境界領域を語っているようにも思える。 宗教とは他の何ものかに引かれ、従うようなものではなく、わが内なる神仏を発見し、それを大切にすることで自己を高めていくものなのだろう。
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