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  平成20年2月5日号[天地]
   国境警備に当たっていた高句麗の将軍、淵蓋蘇文(えんがいそぶん)は六四二年、唐との戦争回避に動こうとしていた栄留王(えいりゅうおう)と百八十人の穏健派貴族を弑害し、栄留王の弟、太陽王の子、宝蔵王を立てて自ら政権を掌握した。新羅では善徳女王の時代の六四三年、唐にそそのかされた権力者の眦雲(ひどん)が女帝廃止を叫んで乱を起こしたが、後に武烈王となる金春秋によって収められた。そして日本(倭国)では六四五年、蘇我氏が滅ぼされ、大化の改新が始まる。三国に連動するようにクーデターが起こったのは興味深い▼百済に旧伽耶地域を占領された新羅の金春秋は高句麗に赴き援軍を求めたが失敗、逆に監禁されてしまう。何とか脱出した金は六四七年に日本に渡り、提携して百済に当たろうとするも、百済系渡来人が権力を握っているのを知り、あきらめる。その後、彼は六四八年に子の金文王と唐に入り、太宗に百済討伐の救援を願い出て、ついに出兵の約束を取りつけた。これが、唐と新羅の連合軍による百済攻撃と、百済再興のため出兵した日本軍が白村江で大敗する背景だ▼日本が建国されたのは、このような東アジア動乱の時代だったことを知る必要がある。百済が、次いで高句麗が滅亡したことで日本は独自性を強めるようになる。そこから、記紀編纂の必要性も生まれたのだろう。
クョスコニョ    [1] 
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