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平成20年2月5日号社説 |
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エコノミストの懺悔
小渕内閣で経済戦略会議の議長代理を務め、規制緩和や市場開放など構造改革の急先鋒だったエコノミストの中谷巌さんは、近著の『資本主義はなぜ崩壊したのか』を「自戒の念を込めた『懺悔の書』」として書いた、という。「『改革』は必要だが、その改革は人間を幸せにできなければ意味がない。人を『孤立』させる改革は改革の名に値しない」と。 興味深いのは「『日本』再生への提言」を書くために、日本人の自然観や神仏習合の信仰、本地垂迹説など、伝統的な宗教文化から説き起こしていることだ。経済学では人間の経済的側面だけを扱うが、人間は金銭感覚だけで生きているのではない。文明論を踏まえた経済学が求められるゆえんである。 合理主義の傲慢 それにしても、最近の経済危機の広がりに、日本いや世界に占めるアメリカの大きさを、改めて思い知らされた。乱暴な言い方をすれば、アメリカ国民の消費が世界経済を支えていたのである。それも、富裕層だけではない。 金融危機の引き金になったサブプライムローンは、本来ならローンを組めない低所得者にも金を貸すために考案された金融商品である。同様のローンは車にもあり、当然、支払い不能による焦げ付きは予想された。問題は、その危機を分散させて分からなくし、世界に売ってしまったことだ。儲けたのは、仕組みを熟知している一部のエリート層だけで、多くの一般市民は住宅や自動車を手放すことになり、ローンを組む前よりも貧しくなった。 これは金融自由化が進んだ今の資本主義の典型的な側面で、その結果、アメリカの富の多くはトップの数%が独占し、国民の圧倒的多数は貧困に陥るような社会になっている。かつて一億総中流といわれた日本も、急速にその同質性を失い、年収二百万円以下の給与所得者が一千万人を超える格差社会になってしまった。 もちろん、それでも大半の人たちは頑張って生きている。問題は、母子家庭や単身者など家族とのつながりが弱まっている人たちだ。ホームレスが増えたのも、貧困よりも家族関係の断絶が大きいとされる。失業したら、しばらく実家に身を寄せ、英気を養うということができなくなってきた。友人やご近所でもいいのだが、自分を支えてくれる人たちの輪が失われているのである。そうなると人間はひ弱い。間違った方向に行けば、犯罪を犯してしまう。 理不尽な犯罪が続く世相からか、亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』(光文社文庫)が累計百万部を超えた。亀山さんは、講演で「ドストエフスキーは金を文学の中心テーマにした最大の作家だ」と語っている。評論家の松本健一氏は、「すべて金の物語として訳したほうが分かりやすいのはそのとおりだが」としながら、「大審問官物語を軸とする思想が人を殺すという問題や父親殺しのテーマが消えてしまう」と懸念を呈する。あるいは、それ以上に、ドストエフスキーが救済の希望として描いた「アリョーシャの物語」がなくなってしまう。 ある若手エコノミストは、金融危機の原因を「合理主義の傲慢だ」と表現した。合理化できるのはごく一部にすぎないのに、それが全体だと思ってしまう、あるいは全体に影響を及ぼしてしまう、そんな近代社会の仕組みや近代人の意識に問題があるのだろう。 「日本」再発見を 結局、私たちは日本とは何か、日本人とは何か、要するに私とは何かを問い直すところから再出発する以外に、この国と私自身を立て直す手立てはないのではないか。それは、私と自然、環境、周りの人たちとの、つながりの回復でもある。 例えば、夫婦や親子関係などは仕事と違い、不合理に満ちている。五木寛之さんは『人間の覚悟』で「男性の仕事は女性に対しての奉仕につきる」と、男たちに覚悟を迫っている。そう覚悟しないと、やっていけないことが多い。つながるが依存しない、孤独の覚悟も必要だ。そんな思いもあって、三月五日の本紙講演会で、宮司になった元NHKの宮田修さんに「NHKアナウンサーの『日本』再発見」を語って頂くことにしました。
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