|
|
購読お申し込み・お問い合わせはこちらフォーム入力できます! |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成20年9月5日号社説 |
|
|
|
友愛社会への道
鳩山由紀夫・民主党代表のホームページには、冒頭に「『友愛社会』の実現を目指して」というタイトルの下、「民主党の目指す社会は、私流に言えば友愛社会です。すなわち、個人の自立・尊厳を前提に互いに支えあう社会です。今日、日本が直面している最大の課題である少子高齢化問題も、友愛精神に基づく下記の政策で解決し、国民が安心して、心豊かに暮せる社会を実現してまいります。」と書かれている。 友愛とは兄弟愛 この友愛は、英語のbrotherhoodの和訳で、正確には兄弟愛のこと。本来、キリスト教の言葉だが、博愛と同じ意味合いである。この言葉を日本人で最初に使ったのは、キリスト教の社会運動家として大きな足跡を残した賀川豊彦(一八八八―一九六〇)だろう。一九三六年にはアメリカで"Brotherhood Economics"が出版されている。 賀川の友愛とは、神の愛によって罪が赦された喜び「贖罪愛」によって、人のために喜んで身をささげた「隣人愛」である。正確に言えば、懺悔による贖罪という回心がなければ、隣人愛には至らないのである。 今回の衆院選挙での自民党の敗因の一つは、麻生太郎首相から反省の心が伝わってこなかったことにある。最後の段階になって反省の言葉は口にしていたが、本心では反省していないことがそぶりで感じられた。野党になった自民党は本気で反省しないと、ますます衰えてしまうだろう。そうなると、小選挙区制が目指した二大政党制の実現はおぼつかなくなってしまう。 敗戦間もない昭和二十一年四月、当時、国民の間に大きな影響力を持っていた哲学者の田辺元は『懺悔道としての哲学』を著した。同書で田辺は「西欧的理性は二律背反の、どうしようもない矛盾の罠に陥り、ずたずたにひき裂かれ、袋小路にはまっている」と自らの西洋哲学を反省し、「しかし、あの最後の凋落――否定――は最後の死で、そのあとは、西欧論理のいきづまりを超えた世界への親鸞的再生に向かうのかもしれない。親鸞の教えは転換体験の法悦的否定と超越(往相)だけを提示しているのではない。生まれ変わり、叡智と慈悲の道を他の人たちに示す能力をもった人間としての『現世への帰還』(還相)も強調しているのだ」と、仏教哲学への転向声明を行った。 ジョン・ダワーは『敗戦を抱きしめて』で、「この国のこのような自責の伝統においてもっともカリスマ的存在の代表が親鸞である。親鸞こそ、自己憎悪と法悦的な回心の先達であり、日本でもっとも大衆的な仏教宗派である浄土真宗の開祖だった。田辺の邪悪な自己に対する糾弾は、じっさいのところこの先達からの盗用のようにも読める」と書いている。 もっとさかのぼれば、律令制度と仏教で日本という国の形をつくった聖徳太子は、憲法十七条で人の和を説くと同時に、さまざまな利己心への反省と克服を促した。 ところが、明治以降の啓蒙主義の中で、あるいは戦後の個人主義の風潮の中で、宗教的心情である真摯な自己反省、懺悔の心が日本人の中からほとんど失われてしまっている。そうした宗教性の喪失が、反省を知らない人たちを生み出したとも言えよう。だから、オバマ米大統領のように、宗教的メッセージを国民に向けて語るようなことは、この国では難しい。しかし、失望するのはもう少し先のことにしよう。 日本再生の始まり 鳩山代表の「友愛」は、宗教心で受け止めなければ、中曽根康弘元首相の言うように「ソフトクリームのように甘くて、すぐに溶けてしまうようなものだ」となりかねない。 友愛の提唱者は鳩山氏の祖父、鳩山一郎元首相で、「EUの父」と呼ばれたオーストリアの政治家リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの『自由と人生』を読んで感動したのが始まりだ。 鳩山氏の唱える「友愛社会」が実現するには、自己反省に基づく回心が必要なことを、国民一人ひとりが認識することが、日本再生の始まりではないだろうか。
|
|
|
|
|
|
|
|
特集 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
社是 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|