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  平成21年9月5日号[天地]
   八月末、兵庫県三木市にある藤原惺窩(せいか)の生家跡を訪ねた。神戸電鉄三木上の丸駅からタクシーで二十分ほど走ると小さな公園があり、石碑と生家の銅像が建っている。周りには酒米・山田錦の稲田が広がっていた▼惺窩は、細川荘(三木市細川町)の荘園を領した冷泉為純の第三子として生まれ、幼少のころ播州竜野で剃髪した。父為純が三木城主別所長治に滅ぼされたため、十八歳の惺窩は姫路の書写山に陣していた羽柴秀吉に仇討と家名再興を願い出た。しかし、秀吉に時期を待つようにとさとされ、叔父のいる京の相国寺に入る▼天正十八年(一五九〇)、朝鮮からの使者と大徳寺で筆談したことが、惺窩に儒学への目を開かせる。その後、薩摩から船で明に渡ろうとしたが果たせず、文禄・慶長の役で日本軍の捕虜となり、藤堂高虎の監視下にあった朝鮮の儒者・姜 (カンハン)と伏見で出会い、親交を深める。播磨国龍野城主・赤松広通と姜の援助で四書五経の訓点本の刊行を目指す▼慶長五年(一六〇〇)、学僧と儒仏論争するため徳川家康に呼ばれた惺窩は道服姿で現れ、禅僧から儒者になったことを公表した。これが江戸儒学の劇的な始まりである。家康が二千石で迎えようとしたが自由に暮らしたいとして応じず、弟子の林羅山を推薦。情熱的でヒューマニティーあふれる惺窩はもっと評価されていい。
クョスコニョ    [1] 
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