教育勅語の精神で改革を 渙発120周年記念し奉告祭 これからの人づくり提言 湊川神社
鼎談する(左から)三輪尚信氏、渡邊規矩郎氏、籠池靖憲氏=10月31日、神戸市の湊川神社
教育勅語渙発百二十周年を記念し、神戸市中央区の湊川神社(栃尾泰治郎宮司)で十月三十一日、祭典と記念行事が行われた。建武の中興の英雄、楠木正成を御祭神とする同社は明治天皇の命で明治政府が初めて創建した別格官幣社で、いわば明治という時代を代表する神社。地元では親しみを込めて「楠公さん」と呼ばれている。明治二十三年に明治天皇より渙発された教育勅語の精神と通じていると言えよう。
十月三十一日の午前、同社本殿で教育勅語渙発百二十周年奉告祭が執り行われ、午後から記念行事の教育問題をめぐるシンポジウムが開かれた。 開会挨拶で栃尾宮司は、「昭和四十年代初めから全国教育関係神職協議会や全国神社総代会が教育勅語の普及、啓発に努め、神社本庁では教育正常化の運動を進めてきた。教育勅語は明治十年代の過度な欧化による道徳の乱れを正すため、明治天皇の命により日本人の徳目をまとめ発表したもの。それに深くかかわったのが楠公を思慕する横井小楠に師事した元田永孚で、井上毅らと共に起草した。建武の中興が結実した明治維新の精神を象徴するものと言えよう」と述べた。 第一部では、兵庫教育大学大学院特任教授の渡邊規矩郎氏(日本教育新聞関西支社長)が吉田松陰の言葉から「道は高く美し、約にして近なり〜学びと育ちの原点を問う〜」と題し記念講演。戦後、教育勅語の精神が浸透した師範学校出身の教員がいなくなり、教員が普通の研究者によって大学で育てられるようになったことが教育荒廃の大きな原因である、などとして次のように語った。 「高度成長は戦前の教育を受けた人たちによってなされたもので、師範学校の卒業生が平成二年に教壇を去った頃から、次第に教員の教育への志が低下してきた。教員の再教育のための大学院大学が二十一あるが、教授が不足している。いじめが依然として学校で横行している原因の一つは、親子が友達のような関係になった家庭にある。また、母親も外で働くことで、職場の陰湿な人間関係が家庭にも及び、いじめが当たり前の風潮になったことも大きい」 第二部は、塚本幼稚園幼児教育学園の園児一同による教育勅語奉唱と日本の歌の学校、大正琴の演奏があり、聴衆の大きな拍手を受けていた。 第三部は、渡邊氏に加え、皇學館大学講師の三輪尚信氏、塚本幼稚園幼児教育学園園長の籠池靖憲氏による鼎談「これからの人作り〜教育の肝要〜」。 三輪氏は「明治天皇は、模範とすべき人として天皇は後醍醐天皇、国民は・・・・
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第4回心と命のフォーラム 生きる作法・死ぬ作法 総本山善通寺
フォーラムで語る(左から)樫原禅澄管長、三林京子さん、山折哲雄氏、瑞田信弘住職=10月19日、総本山善通寺
香川県高松市にある浄土真宗本願寺派の称讃寺(瑞田信弘住職)が主催する第四回心と命のフォーラム「生きる作法・死ぬ作法」」が十月十九日、同県善通寺市の真言宗善通寺派総本山善通寺の遍照閣で、「お葬式のこと、お骨のこと」をテーマに開かれた。 最初に樫原禅澄善通寺管長は、「散骨はそう増えておらず、普通にお墓に入れる人が大部分だ」と語った上で、少年院での面接の経験から、「少年たちに共通しているのは、墓参りをしたことがない、家に仏壇、神棚がない、祖父母がいないこと」として、次のように述べた。「子供に祖父母の死に顔を見せなくなったことも、非行の一つの原因ではないか。葬式は人生最後の通過儀礼だが、本人は存在せず、周りの人が行う。それがその人を大切にすることで、亡くなった人を祀ることは子供の情操教育にも役立つ」と話題を教育問題に広げた。 女優で落語家の三林京子さんは、八月十九日に母親を九十三歳で見送った経験を踏まえ次のように語った。 「父(文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎)は二十四年前に亡くなり、四日間通夜をした。酒が好きだったので、毎日一升瓶が並ぶ賑やかな葬式だった。母の葬式には孫、ひ孫が初めて全員集まり、母も嬉しかったと思う。四歳のひ孫は、入院中からよく見舞っていた。棺おけにいる母に呼びかけても返事しないので、疑問に思ったり、おばあちゃんが冷たいと言った。お骨拾いもしたので、衝撃的な記憶として残っただろう。やはり祖父母の死は経験しておいたほうがいいと思った」 宗教学者の山折哲雄氏は、二十年前から「葬式はしない」と公言している。岩手県花巻の浄土真宗末寺の長男で、小学生時代から小坊主をしていた。還暦の頃から、葬式はしない、お墓もいらない、遺骨も残さなくていいと思うようになり、「三無主義」と名付けている。猛反対の夫人も今は賛成で、両名連記の遺言状を書いているという。 「万葉集の時代、遺骨は山野に捨てられていた。しかし、散骨に反対の地域もあるので、一握り散骨をすることにした。生き残ったほうが伴侶の遺骨を金槌か瓶の底で粉にする。そうしながら故人の人生を思い返すので追悼にもなる。遺灰は気づかれないよう、思い出の場所に一握りずつそっと撒く。一握りはガンジス川に撒いてほしい。それによって魂が自然に返ると思い、素直な気持ちになれた。 今年七十九歳になって心境が変化した。二酸化炭素の排出を抑えるため火葬をやめ、土葬に戻すことを思いついた。日本の国土の75%は山なので有効利用できる。今、散骨か土葬か迷っている」・・・
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<2面>
- 中東シノドス閉幕
教皇は「共にある」ことを強調
- 国連に超宗教議会を
ソウルで超宗教アセンブリ 韓 国
<3面>
- 本紙講演会【上】 トルストイ没後100年
一燈園当番 西田多戈止 西田天香の生活に生きるトルストイ
<4面>
- 海外開教公開カンファレンス
新布教の在り方求めて 浄土宗
- 総合研究センター第12回学術大会
食を人格形成までつなげる 曹洞宗
<5面>
- 新熊野神社で創建850年祭
神仏習合の信仰伝え 京 都
- ハバロフスクで抑留戦没者慰霊
第八代靖國神社宮司 湯澤 貞 遥かなる祖国を夢見つつ 異国に果てた戦友たちよ
<6面>
- 古代史家 大野七三氏
『日本国始め 饒速日大神の東遷』を上梓
- 近現代史セミナー多摩21
関岡英之氏が講演
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