子供を育てるのは親
子ども手当てをめぐる鳩山由紀夫首相の答弁を聞きながら、「子供を社会が育てることを理念としている」という言葉に疑問を感じた。子供は親が育てるのが常識だったはずである。それを「社会が育てる」などと言うのは、革命直後のソ連や北朝鮮の集団養育を連想してしまう。ちなみにソ連では、その結果、青少年犯罪が激増したため集団養育を取りやめた。 社会全体で子供を育てるというのは美しい言葉だが、子育てに無責任な親はそれを聞いてどう思うだろう。最近の育児放棄、児童虐待の増加を見るにつけ、むしろ「子供は両親が育てる」との、憲法にもある「教育の義務」を明確にすべきではないだろうか。 離婚後も共同養育 今の日本は、結婚の三分の一が離婚に至り、その四割近くが結婚五年未満で、乳幼児を抱えての離婚だ。その影響を最も受けるのが子供たちである。心理臨床家で家裁調停員も務め、離婚先進国の米国で暮らした経験もある神戸親和女子大学教授の棚瀬一代さんは、近著『離婚で壊れる子どもたち』(光文社新書)で、信頼できるデータに基づき、離婚家庭の子供の問題を訴えている。 日米とも離婚の九割は協議離婚だが、最大の違いは、日本は親権者を決めて役所に提出すれば離婚が成立する単独親権制度だが、米国では離婚後の子供の養育計画や養育費の取り決めを裁判所に提出し、承認を得なければならないこと。共同監護(養育)法で、夫婦が離婚しても、親としての機能は共同で果たすことが大原則になっているからだ。今や「離婚後も共同養育を」「最良の親は両親である」が世界の常識だという。日本の制度について著者は「子どもに対して無責任極まりない」と厳しい。離婚が急増している韓国では二〇〇七年の民法改正で、米国に似た制度となったという。 離婚が子供に与える影響は、@〇〜十八カ月では、愛着と絆の形成が困難になる、つまり自分と人に対する基本的信頼が形成されないA十八カ月〜三歳では、親からの分離と自律が阻害されるB三〜五歳では、離婚は自分のせいだと思う。その結果、いい子になり過ぎる傾向があるC六〜八歳では、親に見捨てられたと深い悲しみに陥る。逆に言うと、それ以下では離婚そのものは子供の記憶に強く残らないD九〜十二歳は正義感が強くなり、良い親と同盟して悪い親に復讐するE十三歳以上の思春期になると、やっと離婚体験をプラスに転ずることも可能になるという。 現在、子供の親権は約八割が母親が得ている。離婚と同時に働く時間が増えると、子供は実質的に両親とも失うことになりかねない。また、父親との面会交流も、月に一度、食事を一緒にするくらいでは子供の記憶に残らないから、米国では週二回、一泊二日の面会が普通だという。 日本では母親が子供を連れて家を出るケースがかなりあるが、海外ではそれは拉致で犯罪だ。そのため、日本人女性が逮捕される事例も増えているという。
親を育てる子供 子供が育つには親という存在が必要なのである。どうしても実の親がその役割を担当できない場合は、誰かがその代わりをする。それは親の代わりなのであって、社会ではない。子供の発達段階から見ても、無償の愛で子供を育てる存在がないと、心は育たない。その親の責任を曖昧にしてしまうのが、鳩山首相の言う「社会」ではないか。 さらに言うと、子育ては親育てでもある。大人は配偶者と協力して子供を育てることにより、人間として成長する。育児は仕事とは対極の、非合理極まりない世界だが、合理的な世界こそ、この世の一面でしかないことを知る。 多くの大人たちが子育てにかかわらなくなると、社会は冷たい、味気ないものになってしまうのではないか。仕事はできても、何のために生まれ、生きて、死んでいくのか知らない、知ろうとしない、底の浅い国になってしまう。私たち自身を育ててくれる子育ての機会を、一時の政権によって失ってはならない。
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