昭和の日と憲法記念日に
遷都千三百年祭が行われている平城京跡に、奈良時代の庭園を再現した「東院庭園」がある。平城京の東の張り出し部分が、奈良時代を通じて「東宮」と呼ばれ、孝謙・称徳天皇の時代には「東院」と呼ばれていた。称徳天皇はここに宴会や儀式を催す「東院玉殿」を建て、池を中心とした庭園には築島や石組みがあり、まさに日本庭園の原型を成していた。その築島に植えられていたのが、古代から日本人が最も好きだった松だと聞いて、昭和天皇の御製「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ」を思い出した。四月二十九日は昭和の日だった。 各国の憲法第一条 大型連休中日の五月三日は憲法記念日。改憲派・護憲派それぞれの集会が開かれた。四月十三日、東京・渋谷の金王八幡宮で開かれた竹田恒泰慶應義塾大学講師の研究会に出たところ、竹田氏が強調していたのは各国の憲法第一条の比較である。 米国は「この憲法によって与えられる立法権は、すべて合衆国連邦議会に付与される。連邦議会は、上院及び下院によって構成される」とある。米国の民主主義の基本が議会にあることがよく分かる。中国を見ると「中華人民共和国は労働者階級が指導することによって、労働者農民連盟を基礎とする人民民主独裁の社会主義国家である」となっている。口にするのもはばかるような「独裁」を堂々と明記している中国が、共産党独裁をやめることはないだろう。 それに対して日本国憲法は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。これは、明治憲法の「大日本帝国は萬世一系の天皇之を統治す」に基づきながら、それを民主主義に合うよう表現したものと言えよう。GHQ(連合国軍総司令部)がわずか一週間で作った憲法という批判もあるが、米国人のマッカーサーでさえ、日本が天皇によって成り立ってきていた国だと理解していた、と思えば感心する。 対日戦争をするに当たり、米国が日本研究を深めていたことはよく知られている。武藤信夫氏は近著『これから和』で、GHQ民生局のインボーデン少佐(新聞課長)が二宮尊徳に心酔し、尊徳をモデルに戦後日本の民主化を進めようとしていたことを紹介している。 裏千家の千玄室氏は、特攻隊にいながら出撃することなく終戦を迎え、これから何をしたらいいのか深刻に悩んでいた時、早稲田大学の講演会でダイク代将が「日本の民主主義」と題し、次のように語ったのを聞いて、もう一度茶道に精進する気になったという。 「日本には昔から、すばらしい民主主義がある。なにもアメリカが押しつけた民主主義を、日本が真似をする必要はない。古くからあるその民主主義を立派に育てていくならば、日本はすばらしい国になるに違いない。それは何かというと……、『茶道』なのだ」 千利休が始めた茶道の作法では、蹲(つくばい)で手と口を洗い、刀を置いて入った茶室の中では、誰もが一人の人間として対等になり、正客から御詰まで決められた順序で坐り、譲り合う。それを踏まえて「清め合って、そして譲り合う、こういう姿が本当の民主主義だ。『茶道』ではそれをやっているではないか」と。(臨済会編『好日』より) そんな対話のできる人間関係があれば、今のように日米関係が揺らぐこともないのにと思ってしまう。
民はわが子 西田天香著『地下水の如く』に紹介されていた明治天皇の御製「罪あらば我を咎めよ天津神 民は我が身の産みし子なれば」は幸徳秋水の大逆事件に際して詠まれたという。国民一人ひとりをわが子と思い、その幸せを祈り続ける天皇の姿は神武天皇から今上陛下まで変わらない。 天皇や親などより精神的に高い存在とのかかわりを通して、大自然や超越者との一体感を培い、それを基に人との和を尊んできたのが日本的民主主義であろう。そろそろ私たちは借り物ではない日本の言葉で民主主義を語るべき時を迎えている。
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