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平成22年6月5日号社説 |
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追悼・出雲井晶さん 日本神話の心を生きて
五月十六日、作家で日本画家の出雲井晶さんが急性心不全のため逝去された。享年八十三。四月二十日に東京で開かれた「『日本神話の心』伝承の会」では、長時間立ち通しで熱弁を振るい、元気な姿を見せていたのに、思いがけない急逝だった。本名は光定芳子。 葬儀には森喜朗元首相も参列し、平沼赳夫元経産相や作家の佐藤優さんなどからの花が供えられていた。教育基本法の改正を受け、来年の小学校教科書に「いなばのしろうさぎ」が登場することになり、「日本神話を子供たちに」という出雲井さんの運動が成果を上げつつあった時だけに、残念でならない。 現代を生きる知恵 社説子が初めて出雲井さんを世田谷豪徳寺の自宅に訪ねたのは平成十五年の晩秋。その折のインタビュー記事を十六年一月五日号に掲載した。民俗学者の折口信夫が戦後すぐ、神道の将来について「民族教から人類教へ」と述べたのを踏まえ、「日本神話にも同じことが言えるのでは」と聞くと、「日本の神話や神道には、世界の宗教対立を乗り越える深い知恵があると思う」と答えられた。その後、昭和天皇に関する著書を英訳出版するなど、世界を視野に入れた活動も展開していた。 話の後、自宅横の建物に展示してある、日本神話の絵を見せていただいた。絵は小さいころから好きで、画家の中村貞以に習ったこともあるという。今、その絵七十点は、代々木にある国民精神研修財団内の「日本の神話」伝承館に展示され、無料で公開されている。 出雲井さんの処女作『花かげの詩』は自伝的な小説。主人公は出雲に生まれ、和歌山に嫁いでいるが、出雲井さんが生まれたのは北海道岩見沢町(現岩見沢市)。北海道大学林学部を出た父親が、今の岩見沢高校に勤務していた。その後、吉野林業学校の教頭を経て和歌山の熊野林業学校の校長になり、出雲井さんは旧制和歌山高等女学校を卒業。戦後、父親は故郷の福岡に帰ったが、和歌山で結婚していた出雲井さんは、「五人兄弟の中で一人だけ置いていかれたの」と言って笑った。 『花かげの詩』はまさに女の一生で、最後には夫の老親を介護する場面が出てくる。公表するつもりはなく、「息子に読ませようと思って、手作りの冊子を二十部だけ作った」ものが山陰中央新報の社長の目に留まり、新聞に連載されることになった。夫の老親を見送った後、五十五歳の作家デビュー。ペンネーム「出雲井晶」は当時、住んでいた島根県の出雲大社にちなんだもの。 以来、時折ご自宅を訪ねるようになり、ある時、母の日が近かったので駅前の花屋で花を買って持参したところ、まるで少女のように喜ばれた。それから、季節の花束を持ってお訪ねするのが習慣になった。 出雲井さんの執筆活動は、来日したマザー・テレサに触発されて家庭や教育の題材を扱うものに広がり、昭憲皇后を書いた『春の皇后』から一連の日本神話や昭和天皇の本を書くようになる。「毎日、大声で『古事記』を読んでいると、紙面から神さまが抜け出してきて、言霊の真理を教えてくださった」と言う。産経新聞に連載した古事記神話は、母と子が読めるようやさしく書いたもので、大きな反響を呼んだ。 「先祖は、目に見えない大いなるものが、自然にも人々の内にもあることを知っていました。そこに目を向けて暮らすと幸せになるということを、子孫に『幸せの道しるべ』として語り伝えたのが神話で、慈愛の祈りともいえます」と語っていた。 さらに、「昭和天皇はご生涯、淡々と日本神話の心を行じられた」との思いから、昭和天皇について多くの著作を残された。 民族・地域の価値 グローバルな時代こそ民族や地域の価値が大切になることは、今やほぼ世界の常識となっている。民族の根とも言える神話をはじめ古典や歴史に学びながら、世界に生きる日本の在り方、日本人としての生き方を出雲井さんに教えられた。
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