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平成23年4月5日号社説 |
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それぞれの転機に
大震災と原発事故の報道を見続けているうちに、被害を受けていないはずの自分まで萎えてしまい、なかなか抜け出せないでいるとき、フランスの哲学者アランの次の言葉に出会った。 「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。気分というものは、正確に言えば、何時も悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものだ」 ドイツ人の禅僧、ネルケ無方さんがどん底にいたとき、恩師から届いた手紙に書かれていたという。(『迷える者の禅修行』新潮新書) 私たちの心は気分と意志の間を行ったり来たりしている。ここしばらくは、坂村真民さんのように「念ずれば花開く」で、意志のほうに軸足を置くようにしよう。 生きる意味とは 鎌倉仏教の宗祖たちの最後に現れた日蓮が、『立正安国論』を書くようになったきっかけは、下総から鎌倉に出た途端、住民の半数が亡くなるような大地震に遭遇したことだ。 法華経こそ正法と確信した日蓮が激しく非難したのは、法然によって燎原の火のように広がっていた浄土宗である。一所懸命がエートスの武士まで浄土往生を願うようになり、現実の危機に立ち向かう気力を失っていたことに、日蓮は我慢がならなかったのだろう。 しかし、念仏によって救われた人がいたのも事実であり、法然、親鸞によって仏教は社会の底辺に行き届くようになった。釈迦仏教の純粋性に戻ろうとしたのは、むしろ栄西や道元の禅宗のほうだと思う。そして、日本仏教を仕上げるように日蓮が現れたのは、災害や騒乱に疲弊していた当時の時代的要請でもあった。 関東大震災に遭遇した菊池寛は「地震は、われわれの人生を、もっとも端的な姿で見せてくれた。人生は根本的に、何であるか、人生には根本的には何が必要であるかを見せてくれた」と書いている。 新聞社から大川端に逃げ、肥料舟で川に出て火災を逃れた吉川英治は、「あの震災に遭った人々は、すべて転機に立ったのだ。そして焼跡の岐路から、西に、東に、南に、と思い思いに選んだ道が今日に来ている。……その後私は、いわゆる大衆作家として、生活するようになった。これも後になって考えるとあの天災がなかったら、私はまだ新聞記者生活をつづけていたかも知れないと思う」と書いている。 だからと言って、急いで動き出すことはない。じっくり体と心を休めれば、そのうち自然と意志が頭をもたげてくる。そのとき、もう一人の自分の声に従おう。 『夜と霧』のヴィクトール・フランクルは、次のように言っている。「私たちが『生きる意味があるのか』と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです」(『それでも人生にイエスと言う』春秋社) ネルケ無方さんは、「人生とは何か」「坐禅とは何か」よそに向かって問うことはやめたという。「一瞬一瞬、この私自身の生きる態度が問われているのだ、ということに気づいたから」だ。 二宮尊徳はひと鍬ひと鍬、土を耕す中に、生きる意味を見いだしてきた。日本人のそんな遺伝子が目を覚ます機会になるかもしれない。 トップの在り方 それにしても菅直人総理には、もっと腹の据わった顔を国民に見せ、安心を与えてほしい。混乱の中、不安な気持ちを抱えながら、国民は総理の顔を見ている。これほど、総理と国民の距離が近くなったことはない。だからこそ、心が通じ合えたとの思いがないといけないのだ。東京に避難してきた被災者たちを見舞われた天皇皇后両陛下のお姿から、トップの在り方を学んでもらいたい。 大震災を転機として生きるそれぞれの人生を、意志の力で幸福に近づけていこう。
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