中国とどう付き合うか
中国の楊外相は九月二十七日(現地時間)、国連総会での演説で「日本が釣魚島を盗み取った」と、耳を疑うような品位を欠く言葉で日本を非難した。そればかりか、台湾の漁船も動員して尖閣諸島周辺に繰り出し、同島の実効支配に向けた挑発行為を繰り返している。中国内での反日デモに対しては規制を強めているが、それはデモの矛先が共産党政権に向かうのを恐れてのことだろう。 中国の日本の商店や工場が襲撃され、一番困っているのは中国人の従業者だろう。パナソニックの工場は、 小平の要請で松下幸之助が進出を決断したものだ。しかし、想像力に欠ける一部若者は、知識にも思いやりにも欠ける。暴力は結局、自分自身の上に振り返ってくるという知恵も知らない。 そんな国民の突き上げを恐れ、同僚からの攻撃に神経を使いながら、政権が危うい綱渡りをしている隣国とどう付き合えばいいのだろうか。
反日教育が招いた事態 日本の児玉和夫・国連代表部次席大使が直ちに「日本は正式な手続きを踏んで(尖閣諸島を)編入した」と反論したのは、尖閣諸島を領土にした歴史を踏まえての発言だ。中国政府は日本が日清戦争で奪い取ったかのように言っているが、同島を領土にしたのは日清戦争とは関係ない。 日清戦争前の一八八〇年代後半から、尖閣諸島には福岡県八女市出身の実業家・古賀辰四郎や琉球の住民が建設した船着場や古賀が開設した鰹節工場などがあった。現地調査の結果、いずれの国の支配下にもないと確認した日本政府は、一八九五年に尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定したのである。それに対して清国は何の抗議もしていない。 紛争が始まったのは、中国が一九九二年に「領海法」を作ったからだ。同法で中国は海洋に勝手に線を引き、尖閣諸島、西沙諸島、南沙諸島を中国の領土であると規定した。九七年には、国防の範囲に海洋権益の維持を明記した「国防法」を施行。さらに、国家海洋局が中心となって、島嶼の管理を強化する「海島法」の立法作業を進めている。 中国が十分な力がなかった九〇年代には領海だと宣言しただけで、実際の行動は起こさなかったが、今世紀に入って海軍力の増強を図り、拡張主義を取るようになった。 領海法第二条では、尖閣諸島は台湾の付属諸島となっている。台湾は中国領なので尖閣も中国領だという論理だ。問題は、領海法が施行された時点で、日本の外務省がどんな対応をしたかだが、宮沢政権は強く抗議することはしなかった。自民党政権の時代から、中国に対してはひたすら友好平和が優先していたからだ。 八〇年代に改革開放を進めた 小平は、日本を発展した素晴らしい国だと評価し、中国経済の発展のために日本から資金と技術の導入を進めた。ところが、江沢民政権の時代になると、愛国教育の名の下に、反日教育を行うようになった。 その背景にあったのは、一九八九年の天安門事件と九一年のソ連崩壊で、ソ連・東欧諸国の民主化が自国にも及ぶことを恐れた共産党政権は、引き締め政策に転じた。その手法を取ったのが反日教育だ。江沢民は国内に愛国主義教育基地を二百以上設け、日清戦争以来、中国は日本に侵略を受け続けて来たと宣伝するようになった。その教育を受けて育った若者たちが、反日デモを起こしているのである。 軍事力で実効支配 野田政権の問題は、中国の国内情勢について通じる専門家がいないことだ。中国要人とのパイプ役にも欠ける。外交の基本は個人的な信頼関係なのだが、その蓄積もない。外交には与党も野党もないので、自民党は政局にすることなく、もっと協力すべきだろう。 結局は、しばらく経済的な不利益も我慢して、中国の国内情勢が好転するのを待つしかないだろう。戦争になるよりはましだからだ。 ソ連やインドとの国境紛争で、中国は軍事力で実効支配し、強引に国際社会にも認めさせた。その轍を日本が踏まされてしまうことは、何としても防がなければならない。
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