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平成24年10月20日号社説 |
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秋祭りの季節に
この季節、全国各地で秋祭りが行われる。獅子舞の鉦や太鼓の音色は、懐かしいふるさとの音で、遠くから聞こえてくると、ここに生まれ育ってよかったという思いが湧き上がってくる。ふるさとを遠く離れて住む人も、テレビなどで子供の頃に聞いた音に触れると、郷愁が込み上げてくるのではないだろうか。 秋祭りは、春祭りが収穫を願う予祝であるのに対して、収穫の恵みを神々に感謝する祭り。米国では十一月の終わりに感謝祭が大々的に行われるように、収穫祭は世界に共通している。 神輿の渡御 地域の神社などで、祭りの裏方を務めると、祭りの意味がよく分かる。賑やかな獅子舞や宵祭りのパフォーマンスに餅投げなど子供連れの参拝者を喜ばす催しはいろいろあるが、メーンは御祭神が遷った神輿の渡御である。 本祭りでは、氏子総代たちが集まった拝殿で神事が行われた後、白装束の氏子たちに担がれた神輿が神社を出て、地域を練り歩く。簡略化してお旅所までのこともある。塩竈神社の神輿のように、海を渡ると本当に渡御らしい。神輿を山車に載せて引くのがだんじりだ。その先導役をやっこ行列や武者行列が務めたりする。 こうして、地域の人たちが、神輿に遷られている御祭神に収穫を感謝し、ますますご神威を高めていただくのが祭りの目的である。渡御を終えた神輿は、再び拝殿に戻り、神事の後、倉庫に収められる。神々と人々とが直接に触れ合う場が祭りであり、そのシンボルが神輿なのであろう。 神輿の中に神が実在するわけではないが、神がいますと見立ててお祭りするのが、地域の集団的な儀礼であり、それが人々の心を結んできていた。結びによる絆である。 合理主義が優先される現代では、神事などの儀礼は意味のない繰り返しのように思われがちだが、それぞれの振る舞いに歴史の蓄積があることが分かると、儀礼の価値が理解できるようになる。 十月十四日に放映されたNHKスペシャル「中国文明の謎」で、世界四大文明の中で、中国文明だけが生き続けている理由の一つが、儀礼の重視にあるという説が興味深かった。 中国最古の王朝は紀元前二〇〇〇年頃に誕生した「夏」で、「中華」も古代には「中夏」と書かれていた。夏は『史記』などに登場するものの、考古学的な裏付けがないことから幻ではないかとされていたのが、近年の発掘調査により、実在が確認されるようになったという。 大河ドラマ「平清盛」を見ても、平安時代の政治は、大半が祭祀(さいし)であったことが分かる。祭りごとから政(まつりごと)が生まれてきたからで、当時の政治にかかわるためには、平家の武将たちも祭祀とそれに伴う音曲や舞いなどに通じる必要があった。 そうした都の政治から距離をとるため、清盛は福原に本拠を構えたのだが、一族は貴族化し、源氏に敗れてしまう。それを踏まえて源頼朝は、福原よりはるかに遠い鎌倉に武士の拠点を置くことで、武士の世を開こうとしたのである。 このことから、国を保つには変わらないものと変わるものとのバランスが重要であることが分かる。現実に即応するには変わらなければならないが、それは変わらないものにより権威付けされることを求める。日本では権威と権力が分立されたことが、政治の安定をもたらした。 やがて新嘗祭 日本の古代王権が、三輪王権から河内王権に変遷する過程で、仁徳天皇陵に見られるような巨大な権力に発展しながら、天皇家による宮中祭祀が守り続けられてきたことは、日本の幸運だが、世界史的にはまさに謎であろう。多くの渡来系氏族も、それに協力することで、新天地を開いてきた。 秋祭りの頂点にあるのが新嘗祭である。今上陛下のご健康を祈りつつ、来月には新嘗祭が厳かに営まれる幸いを感謝したい。
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