あるべき国を問う選挙に
一九九四年の衆院選挙で小選挙区比例代表並立制が導入されたのは、二大政党制への移行を目指したからだった。今の既成政党の凋落と少数政党の乱立は、移行期の一時的な混乱なのか、それともこのまま政治が分散・混迷していくのだろうか。重要なのは予想ではなく、国民の意思で、問われるべきは国民が求める国のかたちである。 その一つが憲法論議だ。自民党の安倍晋三総裁は、自衛隊を国防軍とし、集団的自衛権の行使を認めることを唱え、一石を投じた。 これに対して、野田佳彦首相(民主党代表)が「右傾化」と批判したのは、憲法改正の持論に矛盾している。民主党の社会主義的部分に引きずられてのことだろうが、かえって二つの国家像が明確になってきた。
前向きの意欲と感性 もう一つは、国を前に進めるのか、現状に停滞、実質的には過去に後退させるのかである。国民の感情的な同意を得やすい「原発ゼロ」は、電源の三割を原子力発電に依存して発展してきた日本経済の国際競争力を、著しく削いでしまう。同時に、原発を維持・建設している世界の潮流から取り残され、とりわけ途上国に対する技術的な責任を果たせない国になってしまうだろう。 国民の生活が第一の小沢一郎代表などは、ドイツの例を引いて「原発廃止は可能だ」と言っているが、原発大国のフランスから電力を買える国と同様に論じることはできない。さらに、電気代の値上がりに対する国民の悲鳴の高まりから、ドイツが再び、脱原発路線を変えることも予想されている。いずれにせよ、ドイツほど再生可能エネルギー開発の具体論を示せないのが、脱原発政党の欠陥である。 財政赤字も社会保障の危機も、経済成長が止まっているからである。家電メーカーに代表される日本の製造業が、韓国、中国などの追い上げに負け続けている。これは、ITバブルからその崩壊を経て、目指すべき次のビジネスモデルが明確でないのが最大の原因である。 シリコンバレーで起業して成功し、その売却益でベンチャーキャピタルを立ち上げ、数多くのIT事業を育成してきた原丈人(じょうじ)氏は著書『21世紀の国富論』で、日本が目指すべきは、コミュニケーションに基づく次世代のアーキテクチャだとし、それをPUC(パーベイシブ・ユビキタス・コミュニケーションズ)と名付けている。 情報処理のために開発されたパソコンは、ハードとソフトが別なため、機械に人間が合わせていかなければならない。しかし、人間社会の基本はコミュニケーションなので、パソコンの主流はスマートフォンのような携帯端末に移りつつある。これからは、ハードとソフトが一体化し、機械が人間に合わせてくれるので使い勝手が良く、小型で省電力の製品が開発されるようになる。 興味深いのは、PUCの時代に日本は有利な条件にあることだ。大規模な光ファイバー網が敷設され、地上波デジタルにより通信技術と放送技術が融合しているからである。さらに優れた製造技術があり、iモードなど機械を使い勝手を良くする意欲と感性があり、人間関係を大切にする日本人の特性もPUCに向いている。 コスト競争で中国などにかなわないのは当たり前で、日本はさらに前進し続けるしかない。競争力を保つには、世界の優秀な人材や会社が集まるようにすることだ。そのために、法制や税制を見直し、大学を活性化し、自然環境を守り、資源・エネルギーの安定確保を目指さなければならない。
世界の希望となる インドで生まれた仏教が中国、朝鮮を経て日本に渡り、仏教文化として花開いたように、中東で生まれたキリスト教が、地中海からヨーロッパ、米国を経て日本に伝わり、キリスト教文化として土着化する時代を迎えていると言えないだろうか。米国的な強欲資本主義を、ヒューマンな資本主義へと変質させる土壌が、この国にはある。 先の見えない不安な時代には、長期的な楽観主義で未来を展望するのも、前向きに生きるための知恵だろう。何より世界の希望となるような国を求めたい。
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