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平成24年9月20日号社説 |
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政治と宗教を問い直す
奈良国立博物館の特別展「頼朝と重源―東大寺復興を支えた鎌倉と奈良の絆―」を見て、中世武士の信仰を見直す必要があるように思った。源頼朝が始め、今に続いている鶴岡八幡宮の流鏑馬神事を見て、その思いをさらに強くした。 日本の政治学は仏教の影響を見逃しているのが大きな問題だと、宗教学者の末木文美士・国際日本文化研究センター教授は言っている。明治の神仏分離と戦後の政教分離を大きな節目として、日本の政治は宗教と切り離されてしまった。戦後六十年を経て、それが日本の政治家を非常に軽くしてしまったように思う。彼らを選ぶ日本人も同じだ。 東日本大震災からの復興まちづくりでも、自治体の計画には、地域の精神的拠点になるはずの神社が描けないという問題がある。行き過ぎた政教分離の原則を、日本の伝統文化の中で見直すべき時を迎えているようだ。 過度な政教分離原則 戦後日本の国づくりを主導した連合国軍総司令部(GHQ)の民生部を占めていたのは、フランクフルト学派の社会主義者たちである。戦前、ドイツのフランクフルト大学に、レーニンとは違うマルクス主義研究の拠点を築いていたユダヤ人学者たちは、ヒトラーの迫害を逃れ、米国に亡命した。 その影響を受けたのがやはりユダヤ系のルーズベルト大統領で、彼のニューディール政策は社会主義に基づくものであり、憲法違反だとの判決さえ受けている。大統領は彼の妻の家が中国貿易で大きな利益を得ていることもあり、中国の抗日戦争を支援し、共産党の建国を助けた。 戦後日本の大きな不幸は、昭和十年代からの神道の過度な政治利用の反動から、神道指令が発令され、さらにGHQがリードした憲法の政教分離規定により、政治と宗教が分断されたことである。当の米国では「国家と教会」の分離であり、宗教そのものとの分離ではない。大統領は就任式で聖書に手を置いて宣誓するように、キリスト教に基づく国であることは、国民の間で自明のこととされている。 鎌倉幕府で武士の在り方を定めた貞永式目では、第一に神社を、第二に寺を大切にすることが書かれ、それが江戸時代まで続いている。日本古来の神道と仏教に基づく政治が、七百年にわたり行われてきたのである。そこで作られた日本という国のかたちが、明治以降の近代化と戦後の経済優先の国づくりで、歪められてきたことこそ根本的な問題であろう。 福原に港を開き、日宋貿易で新しい国づくりを目指した平清盛も、厳島神社の平家納経に見られるように、深い信仰心を持っていた。日本という国の成り立ちからして、連綿として続く皇室祭祀のなかから生まれてきたものであり、人為的に造られた国ではないという特性がある。政治においても、知識とともに感性が求められ、文化的伝統の上にもろもろの政策が行われてきたのである。 政府が尖閣諸島を国有化したことで、中国内で反日デモが吹き荒れ、日本が大きな危機に立たされているのは、国民が国のことを考え直すいい機会であるかもしれない。少なくとも、そのようにして困難を乗り越えていかないと、日本の将来は開かれないであろう。政府が所有はしたものの何の対策も講じなければ、竹島のように実効支配されてしまうだろう。既に、中国は南シナ海でそのように振る舞っている。 東アジアの共通文化 ナショナリズムを制御し切れない韓国と中国も、あるべき国づくりで悩んでいる点では、日本と同じように思える。東アジア三国に共通しているのは、インド伝来の大蔵経に中国の儒教である。日本の神道にはシベリア系と南方系のシャーマニズムの流れがあるとされる。それら東アジアの文化が、大切に保存されているのが日本でもある。 対立の時代であるからこそ、東アジアに共通する文化を研究し、交流を重ねながら、現代に生かしていくことも重要であろう。宗教界にはそうした息の長い取り組みが求められているように思う。
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