人のために、誠実に
ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥・京都大教授のインタビュー番組を見たり著作を読んだりして感じるのは、天才的な科学者というより真面目な職人のような人柄だ。二十五年前に亡くなった父親がミシン工場の経営者だった影響かもしれない。 難病に苦しむ人たちを救いたいとの変わらない思い、iPS細胞の作製に至る先人の研究者や周りの人たち、とりわけ実務に携わる若い研究者たちへの思いやりは感動的ですらある。働くとははたを楽にすることという日本人の職業観にも通じている。
本来の日本人に戻る 十月二十七日放送のNHKスペシャル「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオ 第二回 復活への新戦略」では、サンヨーのタイの洗濯機工場を買収し、極めて日本的な経営で黒字に転換した中国ハイアールの例が紹介されていた。同社の張瑞敏会長が学んでいたのは松下幸之助の水道哲学で、張会長は「日本人は言われたことを真面目にこなすのは得意だが、主体的に創意工夫していくのにはやや劣るようだ」と語っていた。 同社は工場の社員一人ひとりが社長という意識付けをし、世界のあらゆる国の人たちのニーズや好みに合わせた製品開発を行うことで、世界一の家電メーカーに成長している。日本人が求めてきた生き方が、中国人の経営者を通してタイ人に伝わっている例で、それだけ普遍性があるのだろう。 神宮外宮にある式年遷宮記念せんぐう館には、社殿を築造する大工や、装束神宝類を調製する金工・木工・漆工・染織などの職人たちの技と道具が展示されている。ほかにも、御用材を育て、切り出す人たちや、農業・漁業に携わる多くの人たちの支えがあって、神宮の祭りは変わりなく営まれているのである。 ともすれば悲観的に語られがちな日本の将来だが、それを明るいものに転じていく鍵は、国民一人ひとりが日本人としての本来の在り方を取り戻し、今の現実に誠実に対応していくことにあるのだと思う。停滞しているように見えるのは、それを考えるための時間を天が与えているのかもしれない。 受賞発表後の記者会見で山中教授は、「一九九三年に米国に留学し、身近にノーベル賞受賞者がたくさんいる環境で刺激を受け、さまざまな組織の細胞になる胚性幹細胞(ES細胞)に出合った。しかし九六年に帰国して身を置いた医学部ではネズミの世話に追われる日々で、マウスのES細胞の研究を続けたが、周りから『やまちゅう』と呼ばれ、研究を理解してもらえず、うつ状態になった」と語っていた。 華々しい研究成果も、それを支えるのは実験動物の世話など地道な作業の積み重ねである。そうした若い研究者にも自由に考えさせ、待遇を含め親身になって面倒を見ていたから、高橋和利氏の、細胞の初期化に関係がありそうな「二十四の遺伝子を全部入れてみよう」「山中先生ならそうしてみたらと言うはず」という発想につながった。 「成果が出なかったら、外科医に戻って受付にでも雇ってあげるから」という励ましが、若い研究者の心を燃やしたのだろう。社会や組織の決定権を握っている中高年が、自分たちのためだけに仕事をしていたのでは、それこそこの国の未来は暗い。
倫理的な議論の進展を さらに感心するのは、山中教授の倫理観の高さだ。ヒトES細胞の魅力に引かれながら、受精卵を壊すことから倫理的に問題が多い胚細胞ではなく、皮膚など他の体細胞を使うことを決めた。指導的立場にあり、より多くの人や財を使う人たちには、同じような倫理が求められよう。 生命を扱うだけに、これからも倫理的な課題に直面するに違いない。これからの議論の進展について、山中教授は「倫理的な議論を社会全体で準備しないと、科学技術の方が早く進んでしまう。科学者の仕事は一つのピースで、倫理面や知的財産、許認可など全てのピースが同時に進んで行かないと、本当の意味で実用化はされない」と語っていた。 倫理は宗教と科学の接点に発生するテーマでもある。この分野での宗教界の貢献が期待されている。
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