道徳の教科化を急げ
伊勢神宮式年遷宮のクライマックス、大御神が本殿から新殿へとお遷りになる「遷御の儀」の日時について天皇陛下の御治定があり、内宮で十月二日、外宮で同月五日、いずれも午後八時から斎行されることになった。 「平成の大遷宮」が進められている出雲大社では五月十日、六十年ぶりに修造の終わった御本殿に大国主大神がお還りになる「本殿遷座祭」が執り行われる。 日本の国づくりの中核を担われた神々が、遷宮によりますます神威を強められることで、人々の心が明るくなり、この国の再生が確実になることを期待し、一層の努力を尽くしたい。
教育再生スピードアップ 経済再生とともに教育再生に重点を置く安倍政権では、首相の諮問機関「教育再生実行会議」(本部長は安倍晋三首相、座長は鎌田薫早稲田大総長)を発足させた。一〜二月のいじめ対策に続き、五月ごろまでに教育委員会制度改革、その後は大学の在り方、グローバル化に対応した教育などが議論される。有識者メンバー十五人には「新しい歴史教科書をつくる会」の会長を務めた八木秀次・高崎経済大教授や、作家の曽野綾子さんらも加わっている。 下村博文・文部科学大臣が実行会議と中央教育審議会の担当大臣を兼ねることで、教育再生実行会議での提言を受け、法律改正が必要なものは中央教育審議会で改めて議論することで、スピードアップが図られる。教育現場をよく知る義家弘介・文部科学大臣政務官がそれを支えることになる。 実行会議では、いじめ対策や強い日本再生の礎として、「道徳の教科化」が焦点になるのは確実だろう。 現在、小・中学校では「道徳の時間」が年間三十五単位時間と決められているが、道徳が教えられることは少なく、遅れた科目の補習やクラス活動などに使われているのが実態だ。 これは、先生たちが「道徳教育は反動だ」などとイデオロギー的に反対しているためでも、「価値を押し付けるべきでない」と教育論的に抵抗しているわけでもなく、要するに「教え方が分からない」ことが一番大きな要因で、加えて、今の先生たちは雑用に追われて、子供たちと向き合う時間が少ないのが悩みだという。 こうした現状について貝塚茂樹・武蔵野大学教授は、「道徳が教科になっていないからだ」と主張する。教科でないので教科書がなく、教育法も開発されていない。大学でも教えられないから、先生もどう教えていいか戸惑ってしまう。つまり、戦後の日本は、道徳について空虚なイデオロギー論争を続けている間に、戦前の修身科の蓄積を喪失してしまったのである。その結果が今の社会だ。 東日本大震災で世界は日本人の道徳性の高さを評価したが、がれきの広域処理では、多くの自治体で住民の間から反対が出て実施が見送られるなど、同じ国民としての道徳性を疑わせるような事態が起こっている。改正教育基本法に盛り込まれた「新しい公共」の創造とも関連して、道徳の教科化を図る必要があるだろう。
道徳の根底に宗教 さらに、人々の道徳は、歴史的に宗教および宗教的感性によって培われ、支えられてきたことを再認識する必要がある。近年のスピリチュアリティ・ブームでも、小学生の二割が、「死んでも生き返る」と思っているなど、死についてもきちんと教えないと、命を粗末に扱ってしまう危険がある。 こうなったのも、死を遠ざけ、宗教を敬遠してきた戦後の風潮が原因のように思える。道徳教育の方法の確立には、死に向き合ってきた宗教から学ぶことを避けてはならないし、宗教界も使命感を持って貢献すべきではないか。
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