「国民の憲法」制定へ
安倍晋三総理の粘り強い取り組みが功を奏したこともあって、夏の参院選挙で憲法改正が争点の一つになる見込みが強まってきた。改憲勢力が参院でも三分の二を超えれば、憲法改正要件を定めた九六条の改正が現実的になってくる。 九六条の改正に反対している民主党の中にも、改憲派の議員はいる。憲法改正が政治日程に上るようになれば、議員一人ひとりの憲法観、国家観がただされ、改正を軸に政界再編が起こることも期待されよう。
世界の動きに対応 日本が近代国民国家となるために作られた明治憲法(大日本帝国憲法)は天皇によって制定された欽定憲法である。敗戦後の新憲法(日本国憲法)は、新憲法の改正手続きにより国会で制定されたものだが、その草案は連合国分総司令部(GHQ)が作成したものである。GHQの厳格な検閲の下に、憲法草案が審査され、多少の修正がなされた後、採択、発布されたのであり、国民が自由な意思によって作った憲法とは言えない。 本来なら、日本が独立を回復した昭和二十七年から部分的にでも憲法改正が行われていれば、現憲法も国民の意思を反映する国民の憲法となっていたであろう。しかし、当時の政治情勢がそれを許さなかったので、政府は憲法解釈で現実とそごをきたさないように努めてきた。しかし、日本を取り巻く国際情勢は緊迫の度を増し、もはや「言葉遊び」をしている暇はないのである。 解釈改憲が限界を迎えているのは、第一に九条である。第二項に「陸海空軍その他の戦力は保持しない」とあるため、国内では「自衛隊は軍隊ではない」としながら、対外的には軍隊と規定しているのでは、現実の事態に対応することができない。グローバル化がますます進展する今後、世界の動きにダイナミックに対応していくためには、世界に通用する憲法に変えるべきだろう。 時代や世界の動きに機敏に対応するには、軸足がしっかりしていなければならない。そのため一条では、天皇が元首であることが明記されるべきだ。憲法記念日に弁護士たちが紙芝居を使い、国王の権利を制限するのが憲法だと説明しているニュースがテレビで報じられたが、それは革命により近代国家になった西欧諸国の話である。 日本では古くから天皇が政治的権力から離れ、宗教的権威によって統治の正統性を確保し続けてきたため、統治者が交替しても社会は安定的に推移することができた。先進文化が海外からやって来ても、天皇の権威のもとで選択的に受容し、日本文化と融合させてきた。戦後の象徴天皇制においても、国民の幸せを祈り儀礼を司る天皇と、具体策を実施する政治家との二元体制で国は運営されている。 なお、北朝鮮の核・ミサイル開発で危機が高まっている状況では、「わが国は集団的自衛権を有しているが、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界を超えるものであって許されない」という内閣法制局の見解は、政権の決断で変えるべきである。憲法を改正しなくても、自衛隊が米軍と共同作戦が行えるようにするのは、国民の生命・財産を守る政府の責任として当然のことだ。政府は、「日本は集団的自衛権を有しており、場合によってはこの権利を行使することができる」と表明すればいいのである。
保守本格政権の礎を 決められない政治をもたらしている衆院と参院のねじれも解消すべき時を迎えている。衆参両院の役割を見直し、政治に責任を持つ衆院の権限を重くし、参院は良識の府としての機能を特化すべきで、具体的には衆院優先を明らかにすることだ。 安倍総理は、親日国トルコ訪問で、猪瀬直樹東京都知事の問題発言をカバーしながら、それ以上のウイットで親善回復に努めた。長嶋茂雄・松井秀喜両氏への国民栄誉賞表彰では、国民を大いに明るい気分にさせた。この勢いで夏の参院選に勝利し、保守本格政権の礎をしっかり築いてほしい。それが日本が強い国となり、国民が幸せになる道だからだ。
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