オールジャパンで勝つには
出雲大社と伊勢神宮で遷座祭が行われる間に、日本のこれからを問う参議院選挙がある。国民の一人として思うのは、国際的な競争の時代にあって、他国と協調しながらも、やはり日本には勝ち続けて、それが私たちの暮らし向きに反映されてほしいということだ。国家間競争はチームプレーの競技のようなものだから、個々の力が発揮できるオールジャパンで臨まないと勝てない。 その意味では、日本も政権交代が可能な二大政党制の時代に入るかと期待させた民主党の凋落ぶりが残念だ。鳩山由紀夫元首相の耳を疑うような中国での発言は問題外としても、まるで昔の社会党に戻ったかのような無責任な反対野党と化してしまっている。国民生活にかかわる政策では対立しても、外交や防衛など対外的には一致しないと、国民は安心して政権を任せることができない。結局、日本とは何かのアイデンティティーの欠如の問題で、それは私たち一人ひとりにも問われている課題なのではないか。
古代日本の近代化 千三百年前に成立した古事記が物語っているのは、古代日本の近代化である。白村江の戦いに敗れ、唐の侵略が現実的な脅威となった時代に、天智・天武天皇が目指したのは国内統一による日本の防衛だった。そのため、対馬から畿内まで山城や水城を築き、中央集権的な制度は唐にならいながら、日本とは何かを徹底して追求した。 天武天皇が壬申の乱を起こしてまで皇位に就いたのは、もし天智天皇の大友皇子に皇位が継承されると、その好みと人脈から日本が唐風の国になってしまうのを恐れたからである。さらに、唐の冊封体制に組み込まれ、朝鮮半島のように中国の属国となってしまったであろう。天武側に多くの豪族が付いたのは、同じ危機感を共有していたからである。 天武天皇が志半ばで崩御すると、皇后が持統天皇となってそれを継承する。持統天皇は女帝ながら藤原京造営のために大工事を断行し、人々の恨みを買った。やっと大宝律令が完成したのは文武天皇の時代で、持統天皇が皇位継承を願いながら早世した草壁皇子の皇子である。この持統天皇から孫への皇位継承を正当化するための話が、天照大神の孫・瓊瓊杵尊による天孫降臨だとされる。 太安万侶に古事記編纂を命じた元明天皇は、平城京遷都に反対だったという。律令制で公地公民化が進むと、税と兵が一元化されるので、国の力は飛躍的に高まる。それを支えるのは官僚で、漢文による事務処理が進んだ。元明天皇は天武天皇のように、それに危惧を覚えたのだろう。太安万侶には、古事記にはやまと言葉を使うよう指示した。その苦労を、彼は序文に記している。 官僚制度は常に効率や公正を追求するが、そのために日本らしさが失われては元も子もない。その葛藤の中から生まれたのが万葉仮名であり、平安時代に漢字仮名混じり文が日本語表記として定着する。本紙六面の「和洋の書」展は、そんな歴史を映している。 出雲の国譲り神話は、争いのない統一という統治の理想を語るものであろう。その最大の条件が信仰の尊重で、出雲大社は過去の遺跡ではなく、今も国民的な信仰を寄せられている。それを可能にしたのが、持統天皇の願望を反映したとされる太陽神・天照大神である。自ら力を行使する時はほとんどなく、常にあまねく世を照らしている。権威とは本来、そうした存在であろう。
天武・持統天皇陵 飛鳥には天武天皇と妻の持統天皇が仲良く一つの御陵に眠っている。最近、石を積み上げた八角形の古墳だったことが分かった。墳丘は仏塔(ストゥーパ)のような構造で、渡来の仏教を深く信仰した両天皇の思いを示している。神仏は既に融合されていた。 以上、七月十一日のNHK「BS歴史館」と出雲大社の取材に触発されて考えたことで、きっかけは出雲大社の宮司が国造(こくぞう)と呼ばれていたことだ。古代から出雲は朝廷で特別扱いされていた。日本人のアイデンティティーを深めることは、決して排他的になるのではなく、国際協調の下での国づくり、人づくりという基本に帰ることなのである。
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