主体的な民族の物語を
参院選の結果、安倍政権は少なくとも三年の安定が保証された。そこでの課題は、経済再生を軸に強い日本を取り戻し、合わせて近隣諸国をはじめ世界各国との良好な関係を築くことである。後者については、英国BBC(英国放送協会)が実施している国際世論調査で、昨年は好感度が一位だった日本が四位に後退したのが気になる。そうなった主な原因は、中国と韓国における日本の「悪印象」の高まりで、これが近年、中韓両国が矛先を向けている歴史認識の問題にあることは推測できよう。 やがて八月十五日の終戦の日を迎える。正式に戦争が終結したのは九月二日であり、アメリカをはじめイギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、同日を「対日勝戦記念日」とし、中国では旧ソ連にならって九月三日を「抗日戦争勝利の日」とし、韓国では八月十五日を日本の支配から解放された「光復節」としていることも忘れてはならない。
戦後復興の精神 近代国民国家の特徴がナポレオン軍に始まる国軍の創設であり、徴兵制によって国民が戦争に動員され、戦争を通して国民意識が形成されたことは、近代史の否定できない側面である。それを踏まえながらも、文明の戦争だとされた日清戦争においても、明治天皇は「朕の戦争に非ず」と言われ、西欧列強から屈辱を被っていた多くのアジア諸国に希望を与えた日露戦争に際しても、「四方の海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」と詠まれたことを想起すべきであろう。 昭和二十一年一月一日の詔書、後に「人間宣言」と呼ばれるお言葉で昭和天皇は、冒頭に明治天皇の五箇条の御誓文を述べている。そのことについて昭和天皇は、昭和五十二年八月二十三日の記者会見で「あの宣言の第一の目的は御誓文でした。(天皇の)神格(否定)とかは二の問題でありました。(中略)当時の幣原喜重郎首相とも相談、同首相がGHQ(連合国軍最高司令部)のマッカーサー最高司令官に示したら『こういう立派なものがあるとは』と感心、称賛され、全文を発表してもらいたい、との強い要望がありましたので、全文を示すことになったのです」と語られている。 マッカーサーの狙いは日本の民主化であり、それには天皇が自ら神格否定の宣言をすることが効果的だと考えていたのだが、昭和天皇は、天皇が神でないことは歴史を見れば明らかであり、民主主義は別にアメリカに教えられなくても日本人は知っているということを、ご自身の行動と言葉で示されたのである。そこに戦後復興の精神を見ることができよう。 民間においても、京都学派を代表する哲学者の田辺元は昭和二十一年四月に『懺悔道としての哲学』を出し、「西欧的理性は二律背反の、どうしようもない矛盾の罠に陥り、ずたずたにひき裂かれている」と主張し、「しかし、あの最後の凋落——否定——は最後の死で、そのあとは、西欧論理のいきづまりを超えた世界への親鸞的再生に向かうのかもしれない」と述べている。 戦前の日本の思想界を厳しく批判した和辻哲郎は『埋もれた日本』を著し、戦乱の室町時代に神道信仰が広まった要因として、自分たちの身代わりとなる「苦しみ神」の説話が民衆の心をつかんだことを挙げている。御巡幸される昭和天皇の姿は、まさに「国民と共に苦しむ神」の姿であった。それを見て天皇と国民は喜怒哀楽を共有して一体となり、日本は共産革命が起こることなく、奇跡的な復興に成功したのである。
われら自身の問題 そうした日本の歴史と比較すると、中国、韓国の弱点は民族の物語として近現代史を描ききれていないところにあると言えよう。いわゆる「反日」だけでは、国民が心から喜び、誇りとする国民国家の形成史にはなり得ないのである。それは、個人の生き方を考えても当然であろう。 では、近隣諸国の一つの鏡として日本はどうあるべきか。結局は、防衛や文化、教育においても強い日本を取り戻し、彼らが見直さざるを得ないようにするしかない。その意味では歴史認識も、彼らの問題ではなく、われら自身の問題なのである。そう思いを定めて、終戦の日を迎えたいと思う。
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