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            平成20年5月5日号1面より    

 

新宮御造営の安全祈る
志摩・伊雑宮で鎮地祭
新御敷地で最初の祭儀
神宮式年遷宮

 

 

新御敷地の四隅に立てられた幣の前で忌鍬を手に持ち、穿ち初めの式を行う物忌の本城美紗稀さん(7歳)と介添え役の神職=4月28日、三重県志摩市の伊雑宮

 

 平成二十五年の第六十二回神宮式年遷宮に向け、新宮の地鎮祭に当たる鎮地祭(ちんちさい)が四月二十五日皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の新御敷地(みしきち)における最初の祭儀として執り行われた。それに続いて、内宮・外宮の十四の別宮でも順次、鎮地祭が挙行され、志摩市にある内宮別宮の伊雑宮(いざわのみや)では二十八日、多数の崇敬者らが見守る中、神職八人と七歳の童女により古式ゆかしく斎行された。

 内宮の東南約十キロ、内宮背後の島路山を越え、英虞湾の手前の所に鎮座する伊雑宮は、一般には「いぞうぐう」と呼ばれ、ほかに「磯部の宮」「磯部の大神宮さん」とも呼ばれる志摩国の一宮。御祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)で、内宮から遠く離れた場所で天照大神の魂を祀ることから、古来より「天照大神の遥宮(とおのみや)」と称される。
 同宮の創祀は第十一代垂仁(すいにん)天皇(在位紀元前二九―紀元後七〇年)の時代、内宮を建立した倭姫命が神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探すために志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎え、倭姫命が御贄地にふさわしい土地であるとして伊雑宮を建立したとされる。
 里山のふもと、広く開けた水田に面した同宮は、固有の特殊祭典である御田植式(おたうえしき)で知られる。境内に隣接する料田(神田)で毎年六月二十四日に行われる祭りは志摩地方随一の大祭で、「磯辺の御神田(おみた)」として国の重要無形民俗文化財に指定され、香取神宮、住吉大社とあわせて日本三大御田植祭とされている。
 伊勢神宮の正式名称は神宮。皇室の祖先神である天照大神を祀る内宮を中心に百二十五の神社から成る。年間千数百回に及ぶ祭りの中で、最も重要なのが、その年に穫れた新穀を天照大神に奉る神嘗祭(かんなめさい)。式年遷宮は二十年に一度行われる、いわば「大神嘗祭」で、御社殿や神宝類のすべてが一新される。それは内宮、外宮をはじめ十四の別宮でも順次、同様に行われる。
 伊雑宮の正殿は内宮と同じ唯一神明造で、屋根の上に載る鰹木(かつおぎ)は偶数の六本、屋根の東西両端で交叉する千木(ちぎ)は内削ぎ(先端が地面に対して水平切り)である。ちなみに、外宮では鰹木は九本(奇数)、千木は外削ぎ(垂直切り)で、それぞれの別宮もそれに準じている。
 鎮地祭を奉仕したのは純白の斎服を着けた神職と、紫袴に緑色の袙(あこめ)をまとい、頭に木綿鬘(ゆうかずら)を着けた「物忌(ものいみ)」と呼ばれる女児。「忌」は本来、「清浄な慎みをもつ」との意味で、古来より重要な祭儀には童女が加わってきたという。今回、伊雑宮の物忌を務めたのは伊勢市立修道小学校二年生の本城美紗稀さん(7)。祖母と母に「しっかりやりなさい」と励まされ、少し緊張しながら「うん」とうなずいていた。
 祭儀は午前十時に始まり、権禰宜以下八人の神職と物忌は修祓(しゅはつ)の儀でお祓いを受ける。次に、忌物(人形や刀などの鎮め物)・神饌を納めた辛櫃(からひつ)と白鶏(籠に入れたつがいのニワトリ)が正殿横の新御敷地に用意された祭場に運ばれた。神職と物忌は正殿前で八度拝の作法で拝礼した後、祭場に移る。
 祭儀が行われるのは新御敷地の覆屋(おおいや)の前で、その周囲には、中央に黄色、東北に青、東南に赤、西南に白、西北の黒の五色の幣(ぬさ)が立てられている。
・・・

 

善学院日鏡上人450遠忌法要
教育の先覚者に報恩の誠
身延山久遠寺


大導師を勤める内野日總法主=4月17日、山梨・身延町の日蓮宗総本山久遠寺

 

 日蓮宗の学問の興隆と僧徒教育の基礎を築いた久遠寺第十四世法主、善学院日鏡上人正当四百五十遠忌法要(遠忌法要事業実行委員会主催)が四月十七日、山梨・身延町の日蓮宗総本山久遠寺本堂において内野日總第九十二世法主を大導師に厳修された。
 外陣には日鏡上人の山梨法縁・静岡法縁三百五十カ寺から一千人を超える僧俗が相集い、日鏡上人の行跡をたたえ遺徳を偲び報恩の誠を捧げた。善学院は日鏡上人が開いた門下訓育の場としての草庵で、日鏡上人没後五十年、僧徒教育の大道場「西谷檀林」に改称される。そして現在の身延山大学に繋がっていく。
 大太鼓が雨降りしきる久遠寺に鳴り響く。奏楽のなか灑水・散華の儀式で灑水師・散華師が堂内を厳浄すると大導師、井田湛孝副導師(実行委員長、静岡法縁長)、平原要俊副導師(山梨法縁長)、三十二人の式衆が昇堂、司会者が開始を宣した。道場偈が唱えられ大導師が勧請する。大導師が法主座に移り自我偈の読経が始まる。
 次に、対揚師が独特の節回しを付け対揚を唱えると堂内の空気は一層清麗なものへ。引き続き大導師が表白文を奏上した。そのなかで「在任中、祖山第十六世日整上人、第十七世日新上人等門下に多くの人材を輩出す。在任十三年、身延中興 朝・意・伝三師の後を承けて祖山の繁栄に尽くす。…宗門の枢要の人材多く西谷檀林より出づ。師は身延檀林・祖山大学院…身延山大学と順次改組され興隆をみる僧徒教育の基を築きし先覚なり」と遺徳を偲んだ。
 祖訓「報恩抄」が唱和されると井上瑞雄身延山学園理事長、宮川了篤身延山大学学長らが代表焼香した。内野法主からお経頂戴のあと親教。内野法主は日鏡上人が身延山大学の基礎を開いたことから「身延山大学は四百五十年、善学院の伝統が今に生きている四年制大学だ。少人数であるが布教・説教の勉強に打ち込んでいる。教師も生徒も立派。高校も併設している。進学希望者がいれば当大学を視野に入れて欲しい」と親教、檀信徒の益々の題目修行に期待した。・・・

 

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