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社説
  平成18年8月5・20日号
 

騎馬武者500騎が戦国絵巻
千年余の伝統・相馬野馬追
相馬武士道を今に伝える

 

=7月24日、福島県南相馬市の雲雀ヶ原祭場地

 

 七月二十三日の宵祭りに始まり、二十四日の本祭り、二十五日の野馬懸と千年余の伝統を誇る相馬野馬追が福島県南相馬市を中心に行われた。勇壮な甲冑競馬、神旗争奪戦があった二十四日は、降雨にもかかわらず同市原町の雲雀ヶ原祭場地で勇壮な戦国絵巻を再現、二万二千人の観客を堪能させた。また、一連の神事取材を兼ねて神社本庁の本年度マスコミ懇談会が催され、関係各社が参加した。

 相馬野馬追は福島県相馬地方に鎮座する相馬太田神社、相馬小高神社、相馬中村神社の三社の神事として執り行われる。始まりは、平安時代前期の九三〇年ころで、相馬氏の始祖、平将門が下総国葛飾郡小金ヶ原(今の茨城県守谷市)で行った軍事訓練とされる。将門は支配下の関八州から兵を集め、野に放った馬を敵とみなし、馬術や戦場での駆け引きを鍛錬していた。
 将門が天慶三年(九四〇)に没すると馬追は数代途絶えた。子孫の信田重国(しげくに)が千葉介常兼(つねかね)(千葉城に居住)から所領を与えられ、下総国相馬郡守谷に移り、相馬家を再興。その後、養子に迎えた千葉常胤の次子、師常(もろつね)の時代から毎年、小金ヶ原で野馬追を行うようになる。
 師常は、鎌倉四天王の一人として活躍し、文治五年(一一八九)、奥州藤原氏との戦いに参戦し、その功により頼朝から奥州行方(なめかた)郡(今の相馬地方)を拝領した。その後、重胤の代に主従八十三騎はじめ神社、寺院が行方郡太田村に移住し、慶長六年(一六一一)利胤が中村城に移転し、相馬中村藩が成立した。
 同藩は六石の小藩で、伊達六十二万石と国境を接し、常に緊張を強いられていた。そのため、妙見社への信仰で結束を固めるとともに、軍事の備えを怠らなかった。野馬追行事は、幕府の厳しい監視の目を逃れて武術を訓練する場ともなっていた。
 相馬市・八坂神社の岩崎和夫宮司によると、馬追神事が続いてきた背景には強い妙見信仰があるという。北極星や北斗七星を祭る信仰で、中国では古来より北極星がを妙見菩薩の化身とされてきた。千葉氏には先祖が妙見菩薩の化身によって窮地を救われたとの言い伝えがある。千葉周作の北辰一刀流も妙見信仰より名付けられたもの。野馬追は神事と軍事の融合といえ、武士道精神を鍛える場として今日まで続いている。
 二十三日は、相馬太田神社で騎馬出陣式が行われた。ここには同社に供奉する中ノ郷勢の騎馬二百五十騎が集まり、執行委員長の渡辺一成南相馬市長はじめ代表者が参拝。その後、大将が出陣を命じると、ほら貝が高らかに吹かれ、騎馬が雲雀ヶ原祭場地に向け出陣した。祭場地では、陣羽織に野袴姿の武者たちによる宵乗り競馬が行われた。
 二十四日は、甲冑に身を固めた武者たちが騎馬で南相馬市中心の旭公園付近に集結し、花火と陣太鼓、ほら貝を合図に、約三キロ先の祭場地を目指し出陣した。相馬太田神社に供奉する中ノ郷勢を先頭に、相馬小高神社(小高・標葉郷勢)、相馬中村神社(宇多・北郷勢)の順に総勢五百余騎。総大将、執行委員長、軍師、郷大将、侍大将、軍者、組頭、螺役長などの役付騎馬が整然と駒を進めた。沿道では二万九千人が見物。総大将を務めたのは相馬家三十三代の長男・行胤(みちたね)氏。北海道で牧場を経営している。
 取り交わされる言葉も侍言葉で、沿道から馬上の武者に冗談を投げかけた人が「一般人が武士に口をきくとは何事か」と叱られる場面もあり、武士になり切っている様子が伺われた。
・・・

 

 

 

第29回全国仏教保育茨城大会
米長邦雄氏「らしく育てよ」


「男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく育てて欲しい」と語る米長邦雄日本将棋連盟会長

=7月31日、茨城・つくば国際会議場

 

 「水と緑と燦々と降り注ぐ太陽〜『慈悲と智慧』を保育の原点に据えて〜」を大会基調に掲げた第二十九回全国仏教保育茨城大会(主催・社団法人日本仏教保育協会、主管・茨城県仏教保育協会)が七月三十一日、八月一日の両日、茨城・つくば市のつくば国際会議場を主会場に開催された。国際会議場大ホールには全国から参加した役員、保育園保育士、幼稚園教諭ら九百人が席を埋め記念講演に耳を傾けシンポジウム・分科会・研修会などに取り組んだ。
 記念講演者の米長邦雄日本将棋連盟会長は男女共同参画社会基本法を批判し「男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく育てよ」と若い教師に訴えた。全国大会は隔年ごとに開かれ次期開催地は宮城県。大会前の七月二十一日、二十二日には夏期保育講習会が浄土宗大本山増上寺で開催された(後掲)。
 父性・母性の脆弱・喪失という現実を前に「仏教の心を保育の心として本来の人間性を回復する」を目的に開催された本大会は園児による献灯、献花、献香で始まった。開会式で成田有恒大会会長(増上寺法主)は「私が最近見知った限りでは幼児は仏教的なしつけを求めている」と述べ、人間の本心が求めてやまない宗教心に幼児教育で応えていかねばならないと強調した。
 岩堀法道実行委員長の歓迎の言葉に続き持田賞(仏教保育理論の研究者を対象)、古屋賞(実践的活動者・運営者を対象)、仏教保育精励賞表彰式となり持田賞に宮坂広作東京大学名誉教授、古屋賞に宝仙学園短期大学、仏教保育精励賞に舘野清子さん(茨城・かつらぎ保育園)ら十一人が受賞した。橋本昌茨城県知事(代読)、市原健一つくば市長が「実り多い大会になることを祈念する」と祝辞。記念講演に移り永世棋聖の米長邦雄氏が「美しい日本人に育てよう」と題して話した。
 米長氏は「将棋の天才」と幼児期に褒められたときのうれしさを述懐し、褒めて教育する大切さを説く。殿のため義に生きた忠臣蔵を例に、「日本の女性は淋しい。ヨン様ブームがそれを示している。日本の今の男性は義を失っている。義のために生きるということがなくなった」と日本男性が喪失した義を指摘する。
 東京都教育委員会委員の立場から「教育基本法改正が望ましい。が、今回の改正はしないほうがまし」と改正を批判した上で「歴史教科書は選択科目だが家庭科は必須科目。その内容を見ると男と男の家族、女と女の家族、男と女の家族、と三つの家族が書かれている。女の子には『子を付けるな』と女の子として育てることを否定している。ジェンダーフリー思想だ。すでにこの思想の正体は見破られた。このような家庭科は全部替えよ。幼児教育から男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく育てるべき。現代人は考えすぎる。
・・・

 

<2面>

  • 教皇が中東情勢にメッセージ
    対話と平和を呼びかけ

  • 既婚司祭とバチカンの和解を
    ミリンゴ大司教が結婚と家庭刷新運動

<3面>

  • 中央アジア・タジキスタン
    首都・ドシャンベを歩く
    島田嘉則 日本タジキスタン協会代表

 

<4・5面>

  • 岡本永司大本山護国寺貫首に聞く
    護国寺と5代将軍徳川綱吉

<6面>

 

  • 当たり前のことを当たり前に
    清廉の仏教指導者・證厳上人
    東弘元 陽林寺住職

  • 連載・日本人の霊性(54)
    本居宣長

<7面>

 

  • 全国日蓮宗女性教師の会総会
    駆け込み寺には尼僧が適任

  • 涼やかに川崎大師風鈴市
    境内埋め踊り練り込み

<8面>

 

  • 人・千本ゑんま堂引接寺住職 戸田妙昭師
    慈悲深い閻魔様を説く尼僧
クョスコニョ    [1] 
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