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平成20年11月5日号社説 |
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命の原点に触れる
第二十一回東京国際映画祭の特別招待作品「アライブ/生還者」(ゴンサロ・アリホン監督)の出演者で生還者の一人、建築家のエドゥアルド・ストラウチ氏が十月二十一日に初来日し、話を聞く機会があった。同作は、一九七二年十月に起きたアンデス山脈での飛行機墜落事故からの生還を、生き残り十六人の証言と再現ドラマで描くドキュメンタリー。生きるため死者の人肉を食べたことから後に怎Aンデスの聖餐揩ニ呼ばれるこの事件は一九九三年、フランク・マーシャル監督の「生きてこそ」で映画化された。 アンデスの教訓 三十年間の沈黙の後、ストラウチ氏は二〇〇二年から全世界を回って講演し、体験を語るようになった。「そうすることが私自身の救いになり、いろいろな人の参考にもなっている。アンデスで学んだ教訓を共有したい」と言う。 過去の映画については、「生きてこそ」は映画としては面白いが、物語の全部ではないので、「本作のように、私たちの生の声を伝えられる機会を待っていた」とも。パリに住むウルグアイ人のアリホン監督は生還者の共通の友人でもある。 講演を聞いた人たちからは、「自殺を考えていたが、あなたの話を聞いてやめた」というメールが世界中から届いているという。「死を考えている人たちに、人生の素晴らしさを伝え、どんなに苦しい状況の中でも何か可能性を見いだせると呼び掛けたい」と語った。 遭難から七十二日目に救助された十六人は、記者会見の場で、生きるために人肉を食べたことを怎Lリストの聖餐揩ノなぞらえて説明した。 「……ついに食料が底を突いた日、我々は思った。最後の晩餐の時にその血と肉を捧げたように、キリストが我々にも同じようにしなければならないということを指し示しているのだと。我々の死せる友人たちの中に具現化したその血と肉を受け取らなければならない……これは、我々すべての間で共感されたことだ……それが我々を生き延びさせてくれた」(P・P・リード著、永井淳訳『生存者』新潮文庫) 苦渋の決断だったが、彼らはもし自分が先に死んだら、残った人たちに肉体を提供することを約束し合っていたという。もっともストラウチ氏は「あの行為に対して私はそのような宗教観は持っていなかったので、必ずしも同意できたわけではなかった。宗教的なことよりも、現状からくる理性的な判断の結果だった」と語る。 「人生の中で最も難しい決断だった。しかし、はっきりした意識の下で行った決断であり、それについて良心の呵責を感じたことは一度もない。なぜなら、食べなければ生きていけなかったからだ」 これについて、アルゼンチンのカトリックのグループが「野蛮な行為で許せない」と告発したことから大きな論争となったが、ローマ教皇パウロ六世が「彼らを破門しない。彼らは神に許されている」と声明を出したことで決着した。 ストラウチ氏は「もし、教皇に罪だと言われても、私は気にしなかっただろう。それだけ自信を持ち、強い決意で行ったことだ」と結んだ。本作は来春、渋谷アミューズCQNほかでロードショーされる。 宗派を超えた世界 「それ以後、信仰は深まったか」と聞くと、ストラウチ氏は「逆にカトリックの信仰は必要ないと思うようになり、現在は信仰は持っていない。もっとも、精神性や命への愛情、人が生きる意味については、より深く明確に考え感じるようになった。教理を超えた世界ともいえ、私の宗教があるとすれば自然神や汎神論だ」との答えだった。 悲惨な戦場などで同様の体験をした人たちの多くは、口をつぐみ、社会もあえて聞かないようにするのが普通だろう。とりわけ日本人はその傾向が強い。彼らはキリスト教という共通の言葉を持ち、それに託して事件を語ることができたから、社会的共感を得たのだろう。 同氏の場合、さらに宗教の世界を突き抜け、「人が生きる」という非常にシンプルな命の原点にたどり着いたのではないか。それは信仰の否定ではなく、宗派を超えた世界のようにも思える。
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