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  4月5日号社説
 

愛・地球博で宗教からの発信を

 

 「自然の叡智」をテーマに開かれる「愛知万博」(愛・地球博)まで、一年足らずとなった。一九七〇年に開かれた大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。それから三十四年を経て、地球は様変わりした。地球環境の悪化が深刻となり、資源の有限性が現実の課題となり、さらには民族や文化の「調和」が焦眉の急となっている。
 そこで、愛知万博ではサブテーマに「宇宙、生命と情報」「人生の怩ざ揩ニ智恵」「循環型社会」を掲げ、さらに世界の人々の豊かな交流を実現し、「地球上の総ての『いのち』の持続可能な共生を、全地球的視野で追求する」としている。

 

自然回復は人間回復


 考えてみれば、自然との共生は日本の宗教が最も得意としてきたもの。神道では山や木そのものが御神体とされ、神域には鎮守の森があり、自然を神聖視することで荒廃を防いできた。そうした精神性から、里山のように人間と自然が見事に調和した風景が生まれた。愛知万博が開かれる土地も、そんな地域である。
 ところが百年前、瀬戸焼の陶土の開発や薪の採取などで荒廃してしまった。そのため、流れ出す雨水が、下流の地域にたびたび洪水を引き起こしていた。明治政府が招いたオランダ人技師、ヨハネス・デ・レーケは「川を治めるには、まず山を治めよ」と提言。 そして、明治三十八(一九〇五)年、東大教授として招いたオーストリア人のアメリゴ・ホフマンの指導により、砂防工事と植林も実施され、山は緑を回復したという。
 二〇〇〇年に淡路島で開かれた花博の会場は、関西新空港建設のため、大量の土砂を掘り出した跡地の植生回復に合わせて開催された。自然の回復が人間の回復につながる。
 本紙二月五日号で報じたように、NPO法人社叢学会(上田正昭理事長)は「聖なる森」を出展するとともに、シンボル塔「バイオ・ラング・タワー」の上に「天空・鎮守の杜」を造るという。期間中、国際シンポジウムが開かれる予定なので、日本人の伝統的な生き方を世界に発信してもらいたい。映画「ラスト・サムライ」や日本製アニメ、ゲームで高まっている日本文化への関心も、それを後押しするだろう。
 カトリックで国際コミュニオン学会名誉会長の鈴木秀子さんが、臨済宗の玄侑宗久さんとの対談で、次のように話している。「だから私、臨死体験してつくづく、あの至福の世界が本物で、この世は経ていく世界だっていう感覚があるんです。やはり人間の本分、ビーイングと、現実世界での自分の役割、ドゥーイングのつながりに意識を向けていかないと虚しくなっていくのではないか」。玄侑さんにも臨死体験があり、そこで自分と人、そして自然、さらには「あの世」との「つながり」を実感したという。二人は、その感覚を瞑想によって思い返し、深めることができると語っている。
 死を間近にした人たちが共通して切望するのは、関係を悪くした人たちとの仲直りだという。切れた関係をつなごうとする本能が強まるのだろう。それは、乳児の泣き声やエンゼル・スマイルで母性本能が誘発されるのと似ている。つまり、「つながり」を求める本性は私たちに内在しているのだ。ユング的に言えば集合的無意識である。獲得するのではなく、思い出せばよいのだと考えれば、気が楽になる。

 

生き方を考える場に


 しかし、難しいのは民族や文化を超えた人の交流だ。パレスチナ問題は、ますます抜き差しならない状況になっている。この点でも、外来宗教を受容し、発展・共存させてきた日本文化の視点から、何らかの発信があってもいいのではないか。
 例えば、宗教の発生にかかわる葬送儀礼、あるいは宗教が生み出した芸術は、いずれも普遍性があり、宗教を超えて理解されやすい。難しい教理は理解できなくても、宗教音楽には感動できる。万博でもそんなイベントがあればいい。いろいろな意味から、二十一世紀の生き方を考える場として楽しみだ。

クョスコニョ    [1] 
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