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  平成17年9月5日号社説
 

戦後60年の日本人

 戦後六十年、人間でいえば還暦の年に、先の大戦を振り返る議論が盛んだ。本紙初代発行人の松下正寿氏は弁護士でもあり、東京裁判で東條英機元首相の主席弁護人を務めた清瀬一郎氏の補佐をしていた。松下氏によると、東條元首相はよく「そんなことでは下級将校を納得させられなかった」と話していたという。一般的評価でも、事務官としては優れていたが、一国の舵取りをする首相の器ではなかったといわれる。

戦争の様々な側面
 『昭和天皇独白録』(文春文庫)を読むと、開戦回避を願う天皇陛下が昭和十六年に東條に組閣を命じたのは、陸軍内の人心を把握している東條ならば、陸軍を抑えてくれるだろうとの期待からだったことが分かる。東條は陸軍大臣時代に、大命に反して北仏印進駐をした責任者を免職するという英断も振るっていた。しかし、結果的に東條首相は陸海軍の開戦論を抑えることができなかった。
 天皇も率直に「問題の重点は油であった」と語っている。米英支蘭のいわゆるABCD包囲網により石油の輸入を禁止され、日本は完全に行き詰まった。このままでは軍のみならず産業も崩壊する。日本軍が東南アジアに侵攻し、石油の確保を狙ったのは、その意味では自衛のためといえる。
 しかし、侵攻された国々の人々にとって、それは侵略にほかならない。もっとも、インドネシアやビルマ、ベトナムなどヨーロッパの植民地にとって、日本軍の侵攻は解放のきっかけになった。インドネシアのように独立軍に身を投じた日本兵もいた。
 英国の歴史学者クリストファー・ソーンは『太平洋戦争とは何だったのか』(草思社)で先の大戦を極東戦争と呼び、その本質は日本と英国の戦争だったと述べている。「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国の終焉を早めた」と。また、チャーチル英首相やルーズベルト米大統領の日本に対する人種差別的な発言にも言及している。
 米英両首脳が一九四一年に戦後世界を展望して発表した大西洋憲章にも、人種平等や植民地の独立はうたわれていない。四三年に日本で開かれた大東亜会議で採択された大東亜共同宣言には、それらが明確にある。この時点から大東亜共栄圏が日本の戦争目的に加わる。もっとも、同会議にはアジア各国へ代表が参加したが、日本への期待には温度差がある。日本兵の蛮行が問題になっていたフィリピンのラウレル大統領は、日本の真意に懐疑的でさえあった。
 敗戦間近の日本への原爆投下については、「米兵百万人の生命を救うため」とされ、日本側ではポツダム宣言受諾の遅れがその原因とされている。しかし、鳥居民著『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(草思社)によると、ルーズベルトの急死で大統領になったトルーマンは、内外の「小物」との評価を覆し、戦後世界の主導権を握るために最も効果的に原爆を使うことを狙い、日本の降伏を延ばそうと工作したという。
 先の大戦は、以上のような様々な側面を踏まえて議論しないと、ともすれば偏った意見の主張で実りのないものになってしまう。

未来を構想する力
 東條由布子著『祖父東條英機「一切語るなかれ」』(文春文庫)には、家族思いで人情深い東條元首相の素顔がつづられている。開戦の全責任は自分にあるとしながら、敗戦後は天皇を守ることに命を懸け、家族には一切言い訳せず生きることを命じた。東條家の人々はまさに美しい日本人の姿であり、元首相の孫を「おじいさんは泥棒より悪いことした人」と紹介した教師に、むしろ情けない日本人を見てしまう。
 しかし、人が良いだけでは国際社会で生きていけないのは、昔も今も同じだ。誠実で勤勉な日本人の美点を守りながらも、その上に未来を構想する力が求められている。戦後六十年は、日本人の長所と短所を自覚し、日本が二十一世紀の世界に貢献する道を見いだすことに、その意義があるといえよう。

クョスコニョ    [1] 
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