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  平成17年2月20日号社説
 

鑑真和上像を見ながら

 教科書で見たことのある鑑真和上像の実物を見ようと、東京国立博物館の唐招提寺展に出掛けた。冷たい雨の降る平日の午後にもかかわらず、多くの来館者で館内はむせ返るようだった。これも鑑真の人気の故だろう。
 
日本に戒律を
 鑑真は六八八年、長江が流れる中国・揚州の江陽県に生まれ、十四歳で出家している。そのきっかけは、仏像を見て感動したことだったという。七三三年に日本の留学僧、栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が遣唐使に従って唐に入ったころ、鑑真は故郷の淮南(わいなん)にあり、戒律においては並ぶ者がないとの評判であった。二人の留学僧は、正式な戒律を授けることのできる僧を中国から招くよう、命じられていた。
 伝来して約二百年の日本仏教は当時、混乱の極みにあった。朝廷が導入した仏教の最大の目的は天皇の安泰を祈ることで、そのための道場が宮中に設けられていた。しかし、それが僧の政治介入を招き、道鏡などが権勢を振るうような弊害をもたらした。また、当時の僧尼はすべて政府公認であったが、税金逃れなどのために勝手に僧になる私度僧も多かった。そのため朝廷は、堕落した僧尼の綱紀を正し、戒律を徹底させる必要に迫られていたのである。
 留学僧の熱意によって最初に二人の僧が来日した。しかし、正式な授戒のためには、資格のある十人の僧が必要であった。留学僧が大明寺を訪ねたのは七四二年。彼らは鑑真に、「仏法は東流し日本に伝わったが、伝法の人がいない。かつて聖徳太子は二百年後には聖教が興るであろうと言われた。ぜひとも東に行って教化していただきたい」と懇願した。
 鑑真は弟子たちに、「日本は仏法に深い縁のある国である。この招請に応えて、誰か日本国に赴く者はいないか」と聞いた。しかし、だれも応じない。ある弟子は、「日本はあまりに遠く、命の保障はありません。また我々はまだ修行の途上です」と答えた。
 これを聞いた鑑真は、「これは仏法のためである。どうして身命を惜しむことがあろうか。皆が行かないのであれば、私が行くだけのことである」と自らの決意を述べた。この師の言葉に動かされ、二十一人の弟子たちが行動を共にすることを誓ったという。
 しかし、鑑真の渡航は密告や遭難などで五回にわたり失敗する。さらに五度目の渡航の時の遭難が原因で、鑑真は失明してしまい、高弟を病で失うという悲劇に見舞われる。そして七五三年、日本に帰る遣唐船に乗り、ついに来日を果たした。
 来日二カ月後、鑑真は東大寺において聖武上皇、光明皇后をはじめ四百人もの僧俗に初めての授戒を行っている。さらに、授戒の儀式の後、約一カ月かけて戒律を学ぶようになっていた。そのため、朝廷から賜った故新田部親王の旧宅に建立されるのが唐招提寺である。七六〇年に講堂が造営され、全国から集まる僧侶の修学の場となる。金堂が完成するのは、鑑真が七六三年に入滅して十年後のことだった。
 唐では国立の仏寺を「寺」と、私立の寺は「招提」と呼んでいたため、初めは「唐律招提」の寺院と称していた。招提は「四方僧伽」を意味する梵語の訳語で、「四方から集まる僧侶が律学を学ぶ寺院」ということ。これが後に唐招提寺となる。
 唐招提寺展図録に「鑑真和上の思い」の論文を寄せた木村清孝国際仏教学大学院大学教授と蓑輪顕量愛知学院大学教授は、唐招提寺の命名について、「朝廷という国家権力に認められた僧侶のためだけに留まらず、広く開かれた機関にしたいという鑑真の思いがあったろう」と述べている。
 律令制下の「僧尼令」は、僧が所定の寺を離れ、勝手に活動することを禁じていた。行基は薬師寺の官度僧だが、そこを飛び出して各地を遊行し、多くの信者を集め、彼らに橋を架けるなどの事業をさせた。そのため行基は布教を禁じられている。しかし、三十年後、大仏建立の資金集めに窮した朝廷は、行基を大僧正に任じた。当時の仏教は既に大衆化の道を進んでいたのである。
 
人間をどう正すか
 大衆化の極みとも言える現代、自由が重んじられ、戒律はほぼ忘れ去られている。しかし、釈迦が見極めた人間の本質は、今も変わるものではない。文明が発達するにつれ、思いもしないような犯罪や事件に悩まされているではないか。
 目を閉じ、静かに坐している鑑真和上像を見ながら、今という時代に人間の内面を正す戒と外面を正す律の必要性を痛感した。

クョスコニョ    [1] 
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