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平成19年10月5日号社説 |
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美しいから伝わる 東京国立近代美術館において十月二十一日まで「祈りの旅路」展を開催中の平山郁夫画伯が、九月三十日のNHK教育テレビ「新日曜美術館」に出演し、被爆した広島を描いた絵について、「美術(芸術)は美しいものでなければいけない」と話していた。誤解を受けかねないその言葉について、「その場にいた当事者として、血みどろな惨状や告発するような絵を描くことはできない」と説明し、「泥中の蓮」を例に挙げて、心境を語っていたのが印象的だった。 美に共鳴する心 広島県に生まれた平山さんは中学三年の時、勤労動員で働いていた広島市内の陸軍兵器補給廠で被爆し、自身は九死に一生を得たが、級友の大半を失っている。「悲惨な思い出と、すがる人を助けることもできずに生き残ったことへの後ろめたさ」から、戦後三十年間、広島を訪れることができなかったという。 平山さんが東京藝大に入ったのは昭和二十二年。戦前の日本がすべて否定される風潮の中、日本画の将来も見えなかった。そのため、一時は文学部に入り直そうと受験勉強をしたほど。さらに被爆後遺症が平山さんを苦しめる。追い詰められた平山さんが、自らのあるべき姿を見いだすきっかけになったのは昭和三十四年、天竺から帰る玄奘三蔵の姿を描いた『仏教伝来』だった。強い信念に導かれる玄奘に自らの姿を重ね、「何を描いても自由だ」との思いを表現したという。以後、平山さんはブッダの生涯やシルクロードの風景に自らの内面を投影して描くようになる。 昭和五十四年に描いた『広島生変図』では、紅蓮の炎に包まれた広島の街を、上空から不動明王が見下ろしている。死にいく人たちから永遠の救いを託されたとの思いを、そこに表現したという。まさに「祈りの旅路」である。 梅原猛さんの処女論文集に『美と宗教の発見』という本があるが、美しい在り方を求めることにおいて、美術と宗教はよく似ている。平山さんは「美しく描いてこそ見る者に伝わる」と語っていたが、確かに日本人の心は美的なものに共鳴するようになっている。そうした日本人の美意識が、日本という国のかたちをつくり上げてきたと言えよう。 話は変わるが、香川県綾川町に本社のある社員五十八人の勇心酒造は、清酒以外の売り上げが全体の99%を占めているという不思議な酒造会社だ。米を発酵させて製造するライスパワーエキスを生かした入浴剤や化粧品が主力商品で、地域活性化のために米利用の多様化に取り組んだのが始まりだった。今はポリフェノールを多く含んだ古代米による古代酒の開発を進めているという。 農学博士の徳山孝社長は、遺伝子工学を基本にした西洋型バイオではなく発酵を基本にした日本型バイオで、日本の風土に古代からなじんできた米の潜在力を引き出そうと、営業よりも研究に力を注いできた。平成五年には天然物薬用研究会を立ち上げ、共鳴する全国の研究者たちとネットワークを結んで共同研究している。 徳山社長は、人類と自然の乖離が大きくなってきたこと、物と心のバランスが崩れてきたこと、地球が有限になってきたことを挙げ、「これからの時代は、むしろ東洋的な『生かされている』という考え方を発想の原点におき、西洋と東洋とを合一させて次の世代へ送っていくことが、人類の未来を切り開く一つの方法ではないか」と語っている。こうした科学者や技術者にも、美しいものを求める心が働いていると言えよう。 美しい生き方を 日常生活においても、美しさを心掛けてはどうだろう。美しい所作は無駄がなく、美しい生き方は、それに接する人々の心も美しくする。美しいから人に伝わるのである。おもねらず、創造的で、自分に素直でありながら、人のことを優先させる生き方は美しい。見た目が美しいのに越したことはないが、中身との落差があってはいけないだろう。高齢社会にあっては、年輪を重ねた内面からの美しさが大事になる。「美」を基準に置くことで、何かが変わるかもしれない。
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