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平成20年5月5日号社説 |
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昭和天皇が遺されたもの
四月二十九日の「昭和の日」には各地で昭和天皇を顕彰する催しが開かれた。作家の出雲井晶さんは「昭和天皇様はご生涯、淡々と『日本神話の心』を行じられたお方」と語る。古来からの日本民族の生き方が昭和天皇に反映されているという。まさに、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である。昭和の日を期して、ひととき昭和天皇の御聖徳を偲びたい。 民族の生き方 昭和天皇とマッカーサー元帥に関して、両者は天皇の戦争責任を免責した上での政治的な協力関係にあったという説があるのに対し、評論家の松本健一さんは、昭和天皇は占領軍のもとでの民主化を「天皇制下の民主主義」へと押し返した、と主張している。 「昭和天皇が訪米の折、ウィリアムズバークで二日間の休養をとったとき、そこから車で四十分ほどの距離にあるマッカーサー記念館への来訪を同記念館が要請し、マッカーサー夫人も手紙で依頼してきたが、昭和天皇は足を運ぼうとしなかった。もう時代が違うということもあるだろうが、マッカーサーは軍の司令官だが、自分は一国の象徴であるとの思いもあったのではないか」と述べる。 昭和二十六年にマッカーサーが突如トルーマン大統領によって罷免され、羽田空港から帰国する際、GHQ(連合国軍総司令部)から見送りの要請があったにもかかわらず、侍従長を派遣しただけだった。マッカーサーとすれば共に政治を行った仲という気持ちがあったのかもしれないが、昭和天皇には、マッカーサーは所詮よそ者という意識があったのだろう。 昭和天皇には民主主義の伝統は日本にもあり、一方的に米国から学ぶ必要はないという考えがあった。そうでないと、昭和二十一年の人間宣言(一月一日の詔勅)の中に、わざわざ「五箇条の御誓文」を入れたことが理解できない。明治天皇が「広く会議を興し、万機公論に決すべし」の文言を入れたのは民主主義そのものだとの考えを示し、なおかつそれを入れるよう指示したのだから、昭和天皇がマッカーサーを「押し返した」と言えよう。 脳科学者の茂木健一郎さんが禅僧で恐山の院代を務める南直哉(じさい)さんと『人は死ぬから生きられる』(新潮新書)で面白い対談をしている。 南さんを訪ねて恐山に三泊した茂木さんは、「恐山にいると、いかに自分が日本人かということを意識せざるを得ない。普段、無意識の土壌にあったものが意識に現れてくる。生まれてから染み付いた有形無形の何かが浮かび上がる感覚ですね」と語っている。そして、恐山を体験して以来、「心脳問題より生の現場に寄り添うことが大事だ」と思うようになったという。それが、最近の多彩な活動につながっているようだ。そんな茂木さんを、南さんは「まれに見る吸引力の人」と評する。「博学でシャープな科学者を予想していたら、目立たない、カメラマンの助手のような人だった」と。 自己というのは意識と無意識のせめぎ合いから、そして他者との関わりから生まれてくる、極めて流動的なものである。それ故、ソクラテスは「無知の知」を大切だとし、仏教ではこの世は「諸行無常」だとしてきた。ちなみに南さんは中学時代、平家物語の「諸行無常」に出合ったのが仏門に入ったきっかけだという。それを意識だけの自己を求めたところに、近代の限界があるのだろう。 昭和天皇の御聖徳は、何より日本人のあり方、生き方を率先して示されたことにあると思う。それは、出雲井さんが語る古事記の最初の神、天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)の「限りない調和を保つ叡智そのもの。生命あるものすべてをはぐくむ慈愛」そのものであろう。その伝統が私たちの無意識の中にあることを再発見したい。 田植えの季節に 時あたかも、日本は田植えの季節。昭和天皇が宮中で稲作を始められたことが、日本民族の成り立ちを雄弁に物語っている。米作りに基づいて、生活の倫理や知恵が蓄積されてきた。日本の国の形や食糧問題も、そこから見直していく必要があるのではないか。
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