天を恨まず、前へ
三月十一日をめぐり多くの震災報道があった中で、印象に残った一つに、昨年三月二十二日、気仙沼市立階上中学校の卒業式で梶原裕太君が述べた答辞の一節がある。 「命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です」 彼は今、輪島にある日本航空高等学校でヘリコプターのパイロットを目指し、勉強と訓練に励んでいる。ヘリコプターが人々を救援する様子を見て進路を決めたという。 災害や事故などで大きな不幸に襲われると、人は心が潰されそうになってしまう。最初は、運命を恨みたくなるのだが、やがて背負い切れない重荷を天に預けることで、今を生きようとする。その営みを始めると、自然に生きる力が心の底から湧き上がり、明日への希望を見いだしていく。
重荷を天に預けて 被災地で宗教者と共に被災者を巡回した医師が、宗教者は過大な重荷を神仏にお預けする仲介役をしていた、と語っていた。そこに宗教の発生を見ることもできよう。 人類は数万年の歴史を歩む中で、耐え切れないような苦難に何度も襲われてきた。生きる恵みを与えてくれる自然が、時には恐怖の牙をむくことも、常識だっただろう。 人々がそれでも進歩の道を歩み続けることができたのは、折れそうになる心を立て直す方法を開発したからである。背負い切れない重荷は一旦、天に預けるという発想は、天=神が身近な存在であった段階で、ごく自然なことであったと思われる。その仕草や儀式が形式を整え、やがて宗教となっていった。そう考えると、宗教があったからこそ人類の進歩が途絶えなかったのである。 宇宙センターのある種子島では、ロケット打ち上げ前に科学者たちが宝満神社に成功祈願のお参りをするのも矛盾ではない。科学と宗教は補完し合って発展してきたのである。 東京電力福島第一原子力発電所の事故で放射能汚染が広がり、解決の道がまだ見えないことから、反原発の動きが強まっている。事故検証が進み、安全性に対する想像力の欠如が指摘されるなど、人災の様相が明らかになりつつある。 余り指摘されないが、今回事故を起こした原子炉はアメリカ・GE社製の「マークT型」である。専門家によると、アメリカで「脆弱なモデル」「悪名高いモデル」と言われ、スリーマイル島の次に事故が起こるとすればこの原子炉だ、と予測されていたという。 例えば、原子炉は電気で制御されているので、心臓部の配電盤は絶対的な防水が必要だが、それが不十分だった。冷却装置についても同じで、経済性との兼ね合いで安全性が軽視されていた。どれも長い技術開発の歴史の中で、積み重ねられるべき課題である。 原子力や航空機などは、日本が敗戦のため技術開発が禁止されていたものである。そのため、アメリカからの技術導入の上に改良を加えてきたのだが、それゆえの総合力の弱さが指摘されてきた。 安全性も含めた高い技術力は、例えば新幹線に代表されている。原発についても、日本的なきめ細やかさで開発を進め、安全な原発技術を世界に提供していくのが、これからの日本が世界に貢献していく一つの道である。原発はその後も世界、とりわけ途上国で建設が進んでいる。その現実に対応しなければならない。 反原発を唱えるのは、一見、人間の立場に立っているようで、重荷を天に預けることをしない、そもそも天なる存在を否定する思想によるものと見極めるべきだろう。 もろくない絆を 石巻で読んだ河北新報三月十一日付の社説で胸を突かれたのは、「絆は風評の前で、あまりにもろい」との言葉だ。被災地の瓦礫処理引き受けに反対する住民とはいかなる人たちか、安全を求める声の後ろにあるエゴイズムを峻別しなければならない。 この時期、指導者に求められるのは、清き明き心と果断な決断力である。むしろ、被災地の若者たちから、日本人は学ぶべきだろう。
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